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夢街道
缶詰の話(1)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
缶詰の話(1)
2016/04/01
夢街道
牛肉のことをあれこれ書いてきた。神戸外国人居留地研究会・編「神戸と居留地」に、梶原苗美・宮崎育子両氏執筆による「食の文明開化」に、明治時代、牛肉の缶詰が神戸で売りだされていることを教えられた。牛肉の食べ方に、缶詰を通じた方法のあったことを紹介して、牛肉の最終章としたい。
缶詰の話で、まず登場するのはナポレオン・ポナパルド。コルシカ島にまれ、砲兵士官としてフランス革命に参加、一七九六年?九七年イタリア征討司令官になりオーストリア軍に勝利、九八年にはエジプト遠征、翌九九年、クーデターで統領政府を樹立、一八〇四年、帝位につく。戦いに明け暮れた戦場の体験から、長期保存のできる食料の開発にせまられていた。
そこでナポレオンは、長期保存のできる食糧を懸賞募集する。入賞者が発表されたのはナポレオンが初代皇帝についた一八〇四年、パリの製菓業者だったニコラ・アペールが、密閉容器と加熱殺菌処理による食品保存法が入賞、一万二千フランの賞金を手にした。このとき使われた容器は、缶ではなく瓶だったが、これが缶詰の始まりとされる。
それから六年後の一八一〇年、イギリスのピーター・デュランドが、錫をメッキして薄い鉄板のブリキを開発、それを使って密閉容器を生み出し、缶詰がスタートする。技術は海をわたり一八二一年、アメリカのボストンに大規模な缶詰工場が建設され、ブリキ缶製造の機械化と密封法の改良で企業化が進み、缶詰商品はアメリカから世界に販路をひろげていく。
その缶詰を日本ではじめて作ったのは一八七一(明治四)年、お雇いフランス人教師レオン・シェリーの指導を受けた長崎の松田雅典(まさのり)が、イワシの油漬け缶詰をつくったのに始まる。七四(明治七)年には、お雇いアメリカ人教師ライマンに製法を習った山田箕之助が、野菜缶詰を作っている。一八七五年には官農局の内藤新宿出張所で果実缶詰の製造を試みる一方、七五(明治八)年、アメリカに派遣された関沢明清は、フィラデルフィアの万国博覧会で缶詰の状況を見聞、サケの缶詰技術を学んで帰国、七七(明治十)年ごろから北海道に5か所の缶詰工場を設け、サケやマスなど、魚肉をつかって本格的な缶詰製造をはじめるが、日本で、牛肉を対象にした缶詰の記録は見当たらない。
というのが缶詰草創時の話だが、神戸元町での缶詰事情はどうだったのか。
岩田照彦
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