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夢街道
「道」についての余談(2)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
「道」についての余談(2)
2010/04/01
夢街道
前回紹介した神戸市史・本編各説の一文のその後に、この新道は幅四尺をこえず、西国街道として交通運輸に不便なため明治二年二月、路幅を三間としたが、明治五年居留地交通自由となって不要になり、路面は市民に払い下げられた、とある。
市民に払いさげられて路面ではなくなったのか、私有の道路として残されたのかわからないが、山手で東西をむすぶ道として三本松とともに、いまに残されたものだろうか。 地図にはどう描かれていたか。
一七三六年(元文元年)の西国海道を中心に、生田川から兵庫までをかく海道名所図は、やや山側をたどりながら生田川から宇治川まで、一本の太い道でつながる。伊能忠敬(一七四五~一八一八)の地図は、地形に重点をおいたためか、元町の東入り口から兵庫津あたりまで一本の直線である。荒木村重が築いたとされる「摂津国花熊之地図」でも、城の南側東西に一本の線に、神戸、二つ茶屋、走水の三村名を配している。 旧長州藩が作った街道の明細絵「行程記」は、享保7年(一七二二)絵画方雇員となった有馬喜三太の筆になるものだが、東西に太い道がのび、東の道に面した両側には人家が並ぶ。
摂津名所図絵にあった「道」をさえぎる山は、その後の地図には見られない。地図の目的がちがったのか、表現のちがいか、その根拠もあきらにできないが、一六七〇年代に描かれていた山が一七〇〇年代にはなくなった。その間、なにがあったのか、それはこれからの課題として、元町商店街にモニュメントを作るにあたり、元町商店街を主題にした説明の私案として、平成二十一年十一月、関係者に次のような案内文を提示したことを報告して、この項をおわる。
岩田照彦
元町商店街(西国街道)の生い立ち
東の1番街から西の6丁目まで、1.2キロにわたる元町商店街は、7世紀のはじめ、国をおさめたヤマト政権が、畿内にあった都と、外交の窓口とした九州の太宰府を結ぶ幹線道路として開いた「山陽道」を源としています。
山陽道はその後、都と西の国々を結ぶ「西国街道」と呼ばれるようになり、気候温暖で海と山をひかえた街道の一帯には、日本書記にもみえる生田神社に奉仕する「かんべ(神戸)」とよばれた奉仕する人などが住まい、神戸・二つ茶屋・走水と3つの村になりました。3村を結ぶ街道筋には市場も開かれ、山手には花隈城ができ、行き交う人て賑わうようになりました。
慶応3年、神戸町に成長した一帯は兵庫にかわって開港され、外国人を受け入れることになり、西洋文明の洗礼を受けた街道筋の家々はハイカラな空気に包まれました。明治7年5月、3村を結ぶ街道は元町通と名付けられ、地方自治制度の施行により明治22年、元のまちを中心に「神戸市」が誕生したのです。
新しい時代を切り開いた勝海舟や坂本龍馬、初代兵庫県知事となる伊藤博文も闊歩した街道は、いま元町商店街としてみなさんをお迎えしています。
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