神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

明治7年5月20日、時の県令神田孝平によって名付けられた元町通、以来、140年を超える歴史をもつ「神戸元町商店街」。移り変わる世の中の変化に柔軟に対応し、今も暖簾を守り続ける老舗の歴史を探訪。今月は6丁目亀井堂總本店さんをご紹介いたします。6丁目亀井堂總本店の松井隆昌さんに話を聞いた。

6丁目「亀井堂総本店」

6丁目「亀井堂総本店」

亀井堂總本店の歴史から教えて下さい。

「明治維新の神戸港開港とともに、外国人が集まり、居留地に多くの生活物資が集まってくるようになった神戸。当店の創業者松井佐助は、当時贅沢品とされていた卵や砂糖を使った、神戸ならではの新しい煎餅の開発に挑み、苦労の末完成させ、明治6年にこの元町6丁目の地で創業しました。当時の兵庫は、日本有数の瓦産地で、佐助も古代瓦収集の趣味があり、屋根瓦の形に整えて焼き上げ、瓦せんべいと命名しました」

当時の人々にとって、さぞかし珍しかったことでしょう。

「洋菓子の基本材料で作った瓦煎餅は、長い鎖国から解かれた人々にとって、まさしく羨望の的。『贅沢せんべい』や『ハイカラせんべい』とも呼ばれ、一世を風靡しました。23年には東京で開催された博覧会に出展し総裁大勲位を受賞します。それを機に、一気に瓦せんべいの人気が全国規模へと拡大しました。同年には上野に亀井堂東京支店を出店し、首都圏へのスピード進出を果たしました。日持ちすることもプラスになったのだと思います」

まさしく神戸スイーツの原点ですね。

「和洋折衷の瓦せんべいがルーツとなったのは、洋菓子だけではありません。明治中期に誕生した『瓦まんじゅう』は瓦せんべいの生地をカステラの様に泡立たせ、こし餡を包んで焼き上げたものです。これは、上野亀井堂が開発した『人形焼』のルーツとなりました」

ライバルも出現したのでは。

「佐助は、瓦煎餅をより多くの人に食べてもらおうと、積極的に自分が育てた職人にのれん分けをしました。しかし近年では、職人の高齢化や経営難で瓦せんべいの生産量は減少しています。当店が140年以上も存続することができたのは、吟味した素材を伝統の職人技で焼き、創業当初の味を守ってきたからでしょう。また、若手の職人の育成に力を入れてきた事も大切な事だと感じます」

日本人の嗜好もずいぶん変わりましたね。変化する時代への対応は。

「この間、敗戦や震災などの試練に遭い、めまぐるしく環境が変化する昨今にあっても、変わらない神戸の味として、全国規模の博覧会や品評会での受賞は30回を越えています。地元神戸に限定すると、ポートピア博で人気のお土産となったほか、神戸セレクションや五つ星兵庫にも連続して認定されるなど、常に高い評価を受けてきました」

なるほど、伝統を守ることが、時代変化への対応なのですね。最後に、今後の夢は。

「阪神淡路大震災による建物被害と職人不足で、生菓子部門の閉鎖を余儀なくされ、復活が急務となっています。遠方のお客様にも対応できる焼き菓子とは異なり、地元のお客様に向けた生菓子の販売は、原点回帰と捉えるからです。その一方で、かつてビジネス街だった6丁目も、大型マンションの建設により居住者が数年で3倍も増加し、かつてのファッションの街から、鮮魚店や青果店が出店するなど、日常利用としての機能も果たす街へと変貌を遂げており、まさしく変化対応でもあります」(2017.01)

ありがとうございました。

PCサイトを見る スマホサイトへ戻る