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「商鑑」とは造語です。「あきないかがみ」と読みます。「商(あきない)」とは商売で、「鑑(かがみ)」とは鑑(かんが)みる、すなわち考えることなので、「商鑑」とは商売を考えるという意味です。三木 久雄さんが「鏡」に映して歴史を考えるという趣旨で掲載しています。

第14話 和をもって尊しとなす

第14話 和をもって尊しとなす

1144-01.jpg 聖徳太子は、長い間、私たち日本人にとって、失礼ながら、「お札」の代名詞でした。聖徳太子ほど日本人に縁(円?)の深い歴史上の偉人はおられないでしょう。

 今から、およそ1400年前、当時、大帝国だった隋の皇帝、煬帝に「日出る国の天子、日没する国の皇帝に書を遣わす」と独立国家たる日本を意気煌々と宣言した聖徳太子の偉業は、「十七条憲法」に最も鮮やかに明示されています。1400年以上前の文言でありながら、社会論、組織論、人間論、修養論として、私たちが今読んでも、驚くほど深く正しい言葉が綴られています。まさに永遠の真理が開示されているのです。
 とりわけ「十七条憲法」の第一条巻頭の言葉が「和をもって尊しとなす」と書き出されていることに、「十七条憲法」が当時の日本にとってのみならず、今日に至る、日本の社会規律の真髄を把握していることに驚嘆します。日本という国家にとって、国民の和睦、協調こそ最重要なのです。なぜなら定住型農耕社会である日本では、最大の収穫は円滑な共同作業でしか成しえないからです。日本社会の進歩発展は、いかに日本人相互の和睦協調が成しうるかにかかっているのです。
 聖徳太子の飛鳥時代から、大化の改新を経て、奈良平安時代の律令体制、摂関政治、鎌倉室町の武家政権が戦国乱世を経て、徳川家康によって天下一統され、明治維新を経て、大正、昭和、平成、と今日に至るまで、日本という国家が歴史的進歩の階梯を昇り続けられたのは「和をもって尊しとなす」精神を保持し続けたからです。とりわけ、幕末から明治にかけて、西欧列強の植民地化の危機を乗り越えたのも、第二次世界大戦の敗戦の惨禍から奇跡的な高度成長を成し遂げたのも、「和をもって尊しとなす」協調精神があればこそでした。
三木 久雄
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