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「商鑑」とは造語です。「あきないかがみ」と読みます。「商(あきない)」とは商売で、「鑑(かがみ)」とは鑑(かんが)みる、すなわち考えることなので、「商鑑」とは商売を考えるという意味です。三木 久雄さんが「鏡」に映して歴史を考えるという趣旨で掲載しています。

第25話 日本最古の歴史書

第25話 日本最古の歴史書

1209-01.jpg 歴史は、在るものではなく、生むものです。歴史を生むのは、過去に遡って、現在を考え、未来を見据えるためなのです。

 大和朝廷が全国統一を成し遂げたのは、ほぼ西暦300年代頃と推定されていますが、まだまだ全国の有力な氏族の連合政権的状態でした。西暦600年代、有力な氏族であった物部氏、大伴氏、阿部氏、葛城氏などの中から、次第に蘇我氏が最有力氏族に成り上がり、天皇家をも圧倒する勢力を持つにいたりました。蘇我氏の専横を阻止するために、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が中臣鎌足(なかとみのかまたり)と共に蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し、蘇我氏を滅亡させて、氏族連合政権から天皇中心の政権を樹立したのが大化の改新です。
 中大兄皇子は後に天智天皇として即位し、その後、弟の天武天皇が即位し、大化の改新を実行するのですが、当時、東アジア最大の帝国、唐の政治体制である律令制を模範にして、すべての土地、人民は国家の所有であるとする公地公民制、公地を公民に貸し与える班田収受の法、公地を公民に貸し与える対価として公民に租・庸・調という税を負担させることが基本政策でした。
 大化の改新という政治改革を断行することによって、天皇を中心とする強固な中央集権体制が確立し、以後、中臣鎌足の子孫である藤原家を最高実力者とする貴族が、政治の実権を掌握するまで、律令制は継続するのですが、律令制を発足させるに当たって、天皇の権力の正当性を誇示するために編纂されたのが日本最古の歴史書である「古事記」です。
三木 久雄
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