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「商鑑」とは造語です。「あきないかがみ」と読みます。「商(あきない)」とは商売で、「鑑(かがみ)」とは鑑(かんが)みる、すなわち考えることなので、「商鑑」とは商売を考えるという意味です。三木 久雄さんが「鏡」に映して歴史を考えるという趣旨で掲載しています。

第4話 貝が金?

第4話 貝が金?

1081-01.gif お買い物をしてくださったお客様が、「ハイ、お代」と言って貝殻を差し出されたらビックリ仰天ですね。

 商売とは、とりもなおさず、売り手と買い手の交換行為、すなわち、「売買」ですが、「売買(バイバイ)」という言葉は、古代中国で「貝(バイ)」が貨幣であったことに基づきます。しかし、古代中国で、「貝」が貨幣であった、ということに、今日の私たち日本人は、とても奇異な感じを受けます。なぜなら、貨幣は、貴重な財産だと考えるからで、「貝」が貴重であるとも、財産であるとも考えられないからです。中国の歴史上、考古学的に実在が確認される王朝は、「殷(いん)」です。「殷」は紀元前17世紀から紀元前11世紀に亘って栄えた王朝で、20世紀初頭に発掘された「殷墟(いんきょ)」は、「殷王朝」の中心地で、現在の河南省安陽市に在ります。「殷」は、「商」とも呼ばれるように、既に商業が発展していて、「貝」が貨幣として流通していました。「貝」が貨幣として流通し、交換価値を持ったのは、「殷王朝」が、中国大陸の、「中原」と呼ばれる内陸部に在って、海から遠く隔たっていて、「貝」の入手が困難な地理的条件に在ったからです。「殷」の人たちにとって、「貝」は希少価値を持つが故に、貴重であり財産でありえたのです。 「殷王朝」は、紀元前1046年、第30代目、紂王(ちゅうおう)の時代に、「周」の武王に滅ぼされます。紂王は暗愚な暴君であったとされますが、滅亡の原因の一つは、貨幣であった、「貝」を得るために、宝貝の産地である中国沿海部の異民族、「東夷(とうい)」に侵略して敗北したからだと指摘されています。「貝」を得るために侵略戦争を仕掛けるほど、「貝」は希少価値を持っていたのです。中国の文字である漢字で、「貝」が付けられた「貝扁(かいへん)」の漢字には、「賣(うる)」「買(かう)」「財(たから)」「貨(たから)」「販(あきなう)」「貸(かす)」「費(ついやす)」「賃(はらい)」「預(あずける)」「貢(みつぐ)」「購(あがなう)」「貯(たくわえ)」「貿(かえる)」、などなど、商売や金銭に係わる漢字がたくさんあります。
それは、「貝」が「金」であったからに他なりません。「殷」の国は、「商」とも呼ばれていて、「殷」の人たちは、「商人」と呼ばれていました。「殷」の国では、既に商業が盛んだったので、商売に携わる人も多く、「商人」は商売に携わる人を意味するようになりました。私たち「商人(あきんど)」のご先祖様なのです。
三木 久雄
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