神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第12話 元町通の写真館(4) 長崎の為政写真館と「為政堂」

第12話 元町通の写真館(4) 長崎の為政写真館と「為政堂」

816.gif神戸に外国人居留地があった時代の明治20年代初頭に世界の海運界に「スキッパー船」と呼ばれる高速船が登場し、世界は格段に狭くなりました。大手船会社やアメリカのキャプテンクック社のような旅行斡旋会社が、7つの海を渡る「世界一周旅行」を暇と金を持て余す富裕層に持ちかけ、「グローブ・トロット」(地球早回り旅行)が大流行しました。日本に外国人観光客がやってくる時代の到来で、元町ゆかりの初代総理大臣の伊藤博文も「観光立国」を掲げ、横浜・東京・京都・神戸・長崎などに外国人観光客が訪れる時代で、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が来日、来神したのもこの時代でした。そして彼らの日本みやげに喜ばれたのが、大判写真に手で職人が器用に色を塗った手彩色写真。横浜の玉村康三郎、日下部金兵衛らの写真師の写真館などが作成し、もっぱら横浜港に観光船が寄港したので、螺鈿をちりばめた蒔絵の黒塗り表紙をつけたカラフルな写真アルバムが東京・横浜で売られ、その写真帖(現在では「横浜写真」と通称)の中には神戸の写真も含まれました。明治25年には横浜の「玉村写真館」で修行した新潟出身の為政虎三が長崎市内に「為政写真館」を開業、同年には神戸元町通に進出して、2丁目(1番街の西部分)に「TAMEMASA」(為政堂、後の松井商店)を開業、店は松井某にまかせ、外国人好みの写真帖や浮世絵カードなどを売り、店構えはカミシモ姿のサムライの大きな店看板だったので、たちまち元町の名物店となり、元町の昔の絵葉書にも頻繁に登場します。間もなく5丁目にも「SHINEI-DO」(真影堂)なども開店、明治30年代後半には今の1番街入口(浜側)あたりにも「神戸玉村写真館」が開業し、外国人観光客で賑わうこととなりました。 (戦後は為政堂は「松井そば店」として親しまれましたが、店跡は現在は「花見屋」の東隣となっています。「TAMEMASA」の当時の様子はhttp://www.kinouya.com/のTOP画面で見ることができます)
安井裕二郎
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