神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第15話 元町通の写真機店(3) 「安井写真機店」

第15話 元町通の写真機店(3) 「安井写真機店」

833-01.gif街にモダンボーイが出現しはじめた大正14年(1924)に、5丁目にあった「安井写真機店」内に店主名の光三(みつぞう)にちなむアマチュア写真倶楽部「光楽会(こうらくかい)」が誕生、翌大正15年(1925、昭和元年)には、朝日新聞社の後援で「全日本写真連盟」(日本初のアマチュア写真家の全国組織)が結成され、日本に本格的な「写真ブーム」がやってきました。関東大震災(大正12年)直後には天皇から、クシャクシャ気分の国民にむけ、「国民精神作興(さっこう)ニ関スル詔書(しょうしょ)」もだされていたので、国民あげての折からのスポーツブーム、余裕のある人は「カメラ持参の山登り」と洒落込みましたが、深刻な不況の中、元町通では4丁目の大丸呉服店が現在地に移転してデパートに変身話、6丁目の倒産した元町デパートは東京の三越が買収して新装開店話、2つのデパートに挟みうちとなって頭を抱えた元町商人が、「ならば横のデパートを!」と発案したのが「商店街構想」でした。今まで、各丁ばらばらだった商店主が寄り集まって知恵を絞り、1丁目から6丁目までの通り両脇に著名な古宇田実教授がデザインしたアールデコの「すずらん灯」を建てる大企画、案の上、大金を各店が負担してそんなことしてどうなると大反対する店主も出現しました。肥え樽も百個並べると壮観だと「肥担百荷」を合言葉になんとか足並みがそろい、1丁目(1番街の東部分)から順番に「すずらん灯」を建て、翌昭和2年に6丁目まで完成しました。結果、予想外の大当たり、やがて、有馬道や東京の神田、遠くは満洲(中国東北部)の日本人街にも「すずらん灯」が出現、「雨の夜のアスファルト路面の水たまりに反射したすずらん灯がとりわけ綺麗」とシャッターを切るアマチュア写真家も現れて、金融恐慌もどこ吹く風と元町通に全盛時代が訪れ、安井写真機店の2軒隣に「モトブラ喫茶店」が開店しました。
(現在ではかつて安井写真機店のあった5丁目に戦前のすずらん灯と似たものが並んでいますが、残念ながらアールデコではありません)
安井裕二郎
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