神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第19話 元町通の出版・書店史(1) 「絵草紙屋」の多田屋巻

第19話 元町通の出版・書店史(1) 「絵草紙屋」の多田屋巻

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【元町通の絵草紙屋が発行元の開港絵地図】

江戸時代初期に絵師として活躍し『浮世絵の祖』といわれる岩佐又兵衛は、かつて花隈城を領すも織田信長から謀反人の疑いで一族もろとも皆殺しにあった伊丹の武将・荒木村重の遺児。乳母の機転によって「岩佐姓」で生き延び、やがてその浮世絵師が描いた木版の刷り物は「絵草紙」となり、文字の読める知識層にとって大きな娯楽となりました。
 元町通が西国街道だったころ、神戸村にあったのが絵草紙屋の「多田屋」。幕末の慶応4年(1868)に幕府がこの地を開港場とし、元町の東に外国人居留地と港が誕生することになると、この地の出版元の多田屋善九郎、大坂心斎橋の同じく河内屋喜兵衛らが、「元町の画家」として知られた若林秀岳の筆による多色刷りの地図を出版したのが有名な「開港神戸之図」でした。神戸村の中でも「松屋町」と呼ばれた今の1番街にあった「多田屋」でしたが、絵草紙物が人気があったのは明治10年の西南戦争のころまでの話で、やがて移転した「多田屋」の跡に和菓子屋「紅花堂」(後の高砂堂)が開店したという記述があるので、今の元町の「本高砂屋」の場所に昔は「絵草紙屋」があったというわけです。
安井裕二郎

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