神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第22話 西の関門

第22話 西の関門

931-01.jpg神戸港開港に先立つ慶応3年(1867)に、密貿易の防止策として、幕府は神戸村・二ツ茶屋村・走水村の周囲に14の関門(関所)を設置しました。翌慶応4年(1868)には戊辰戦争の混乱の中で、三宮神社前で「神戸事件」(東進中の岡山藩士が外国人に発砲した外交事件)が起こり、兵庫県は外国人保護のため、3村への官吏・警護の藩士以外の部外者の止宿を禁止、民間資金を集めてさらに3つの番所(関門)を設置しました。生田神社に通じる道筋(生田筋)の「東の関門」に対して、居留地への西からの道筋の玄関口に当たった今の元町通6丁目西端(浜側)には「西の関門」が置かれ、その関所には槍・差又・突き棒などが並べられ通行人を牽制しました。夕刻には3村への入村、居留地への通行を制限するべくそこに柵門がなされました。そんな不便な道でしたが、明治4年(1871)に廃刀令・廃藩置県が出され、関門の番詰めの諸藩士も帰藩して関門が撤廃され、元町通は晴れて居留地への西からの玄関筋として往来自由となりました。その後の明治7年に道筋は元町通と命名されました。
安井裕二郎
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