神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第9話 元町通の写真館(1) 「神戸の初期写真史」

第9話 元町通の写真館(1) 「神戸の初期写真史」

792-01.jpg日本初の写真館は、横浜開港の翌1860年にアメリカ人雑貨商フリーマンが横浜居留地の一室で開いた写真室。フリーマンから写真機を入手した茨城出身の鵜飼玉川(うがいぎょくせん)が翌1861年に江戸にて写場(しゃじょう)を開いたのが日本人経営初の営業写真館でした。翌1862年には横浜にいた桜田久之助(後の下岡蓮杖)が同地に写場を開き、長崎では上野彦馬も「上野撮影局」を開業、その後、「上野撮影局の小先生(彦馬の弟)」こと上野左次馬(後の上野幸馬)が、兄の直弟子の内田九一(くいち)を伴って東行の写真営業を敢行し、同門の守田来三も後を追い、「池田屋事件」直後の第一次長州征伐(1864年)で幕軍兵が多く集結していた「兵庫」の市街に足を踏み入れたのが『神戸の写真史の始まり』で、西国街道筋の今の元町通にも足を踏み入れたと思われます。翌1865年には内田九一・守田来三は大坂入りして写場を開き、『大阪の写真史』が始まりました。その後、神戸港が開港すると、上陸した外国人から写真機を譲り受けた森川為助が花隈村で「神戸初の写真館」を開業、西国街道筋の神戸町役場(今の3丁目にあった)に兵庫県の「外国事務局」が設置されると、出仕した若き伊藤俊輔(博文)が住んだ橋本藤左衛門(二ツ茶屋村名主)の花隈別邸(後の吟松亭)に出入りしたかの写真師・守田来三が、伊藤がかつての密航先イギリスから持ち帰った写真機を譲り受け、明治2年(1869年)に西本町(今の5丁目界隈の当時の通称)に写場を開設、居留地隣接の鯉川筋でも大阪から来た写真師・横田朴齋が写場を開いたのが「元町最初の写真館」。新設された「福原遊廓」(今のハーバーランドにあった旧福原遊廓)では、上野左次馬(上野幸馬)が天幕張りの写場を開き、遊客・遊女を上客にした写真館は大繁盛しました。
(花隈の橋本別邸の庭先で守田来三が撮影した初代兵庫県知事・伊藤博文らの集合写真が有名ですが、写真現物は所在不明となっています)
安井裕二郎
PCサイトを見る スマホサイトへ戻る