神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

2001年から2004年にかけて、毎月こだわりのお店をご紹介。

篠山出身の刀研ぎをルーツに 本当にいいものが望まれる時代に

篠山出身の刀研ぎをルーツに 本当にいいものが望まれる時代に "これ"という一品を揃えていきたい

株式会社 文具サワタニ 代表 澤谷 正一さん

元町ではじめた商い

丹波の篠山から田畑を売って元町へ出て来たと聞いていますが時代はわかりません。戦災で焼ける前に祖父が見た古文書によると昔は刀研ぎをしていたようです。ここは西国街道で参勤交代のため江戸へ向かう殿様の通り道だったのですが、その殿様の刀をお預かりして研いでいたそうです。刀研ぎの仕事は名誉ある仕事でしたが、それだけでは生計は立てられないため、びんつけあぶらを商いとしていたと聞いています。

文具店の創業

明治9年の筆の注文書が、葉書で残っているので、その年を創業の年としています。郵便制度が出来てすぐの年です。紙と筆を商っていたようです。びんつけ油からどうして文具へ変わったのかは聞かされていません。 祖父は筆記具に対するこだわりが大きかったようで、夏目漱石が「万年筆の時代がきっと来る」と書いたよりもずっと前に,外国人から大量の万年筆を仕入れたそうです。 万年筆が日本に入ってきたばかりの頃で、値段は平均的な1月分の給料以上していました。「異人にだまされて財産つぶしよった」と言われるくらいどっさり買い込んで蔵に放り込んでいたようです。3、4年くらいしてから少しずつ売れ出して、その後口コミで広がり、10年ほどかけてやっとお金にしたという話を聞いたこともありました。

戦後からの再出発

戦災でみな焼けてしまい、残ったのは蔵の外壁だけでした。焼夷弾で中は釜みたいになって燃えたといいます。外壁のレンガは分厚く、しかも焼きが入って堅くなっており、壊そうと思っても当時は無理でしたので、また屋根を張って階段を付け、2階建ての倉庫にしました。 父がトタン板のバラックを建てて、道路側を店、奥を住まいにして文具を売っていました。表は青空。道はアスファルトになる前で、どろんこになって遊んだ記憶があります。 物がなかったから、人が集まってきて、通り全体がヤミ市みたいな感じでした。文具品でも物があれば売れました。毎日買出しに行くのが仕事で、仕入れが大変だったようです。ももひきをはいて唐草模様の風呂敷を抱えて売りに来る人もいたようです。

外販の時代

父を手伝い始めたのは、電子計算機が売れ出したばかりの頃で、まだ手回しの計算機が残っていました。その頃は栄町通のオフィス街にある金融関係の会社や建築会社へ納品に行っており、店頭販売より外販が中心でした。大手証券会社ではデスクを一つもらって事務用品と印刷の仕事を一手に引き受けていました。木箱に入った大瓶のインキを毎週大量に納品していました。 「(インキを)飲んでるのと違うか」と笑ったくらいの量。役員のデスクにあるガラスのインキ瓶の中をきれいに洗って毎日入れ替えていました。当時は店に住込みの社員もいました。 注文を受けたら自転車で納品に行っていました。お客様からの要望があれば、レジスター、計算機、コピー機、タイプライター、机、椅子、ロッカー、カーペットから間仕切り、電話機の設置まで何でも請け負っていました。事務所の造作を全て任されたことも有り、一生懸命考えて必死にやりましたね。

店頭販売中心に

区画整理で今のこの店を建てる時、「これからはお前がやるんやから好きなように」と父に言われ図面は私がひきました。店頭売りを中心にしたい。その思いから倉庫はやめて店にお金をかけたいと考えました。 昭和55年に父が亡くなった後、次第に店頭売りが中心となりました。世代交代で古い店員は自然にやめていき女性社員だけになりました。商品構成は徐々に変わっています。 文具にも流行があり、カラフルになってきています。最近では一度店頭で試した後に通販で購入するという方もおられるので、通販で買える商品も見本程度に置いています。 しかし、通販やスーパーでは手に入らない、それでいてお客様のニーズのある商品を置くようにしています。そのため以前より商品の種類はずっと増えています。パズルやキャラクター商品、みやげ品も置いています。文具に興味がある方は店にいらっしゃって色々質問されたりもしますから商品の使い方、メンテナンスなど、商品知識を中心にきめ細かい対応が必要とされます。

これからどんな文具店に

最近はものがあふれており、安ければそれだけで売れるという時代は終わったと考えています。本当にいいものが望まれる時代に変わっていく中で、もう一度"これ"という一品を揃えていきたいですね。 万年筆もいいものであれば10年以上使えます。今の日本のメーカーは記念版として高いものを造ることはあるが、大量生産の安いものを造ることが多く、通常あまり高いものは生産したがらないようです。しかし、値段ではなく、書き味とか商品そのものの品質を重視するようになってくると思います。 見て楽しんでもらえるこだわりの商品を扱うのはこれから、と信じています。減ってきたけれどそうした商品をつくっているところはあります。商品を見て選ぶ楽しみのない"まち"って考えられますか。 こだわりのあるお客様に、喜んで頂ける店にしていきたいと、考えています。

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