神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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明治7年5月20日、時の県令神田孝平によって名付けられた元町通、以来、140年を超える歴史をもつ「神戸元町商店街」。 移り変わる世の中の変化に柔軟に対応し、今も暖簾を守り続ける老舗の歴史を探訪。 今月は3丁目放香堂加琲店さんをご紹介いたします。

3丁目「放香堂加琲店」

3丁目「放香堂加琲店」

喫茶店をオープンされたのは?

天保年間1830年に創業した老舗日本茶専門店・放香堂ですが、実は明治時代、神戸港開港とともにコーヒーを輸入し、明治11年12月26日の読売新聞にコーヒーの広告を掲載しており、コーヒーが店内で飲める日本初の喫茶店と言われています。そこでかねて、コーヒー事業に参入したいと願っていましたが、今年1月1日に開港150年を迎え盛り上がる今こそが絶好のチャンスと、店舗に隣接した倉庫を改造し、昨年10月1日のオープンにこぎつけました。

準備期間は?

半年ほどでした。この間、コーヒーの味はもとより、店の雰囲気も可能な限り当時を再現しようと、"珈"の字を当時と同じ"加"とし『放香堂加琲店』という看板を掲げ屋号としました。店内も木目調のレトロシックな調度品プラス、当時の店の様子を思わせる『宇治製銘茶』と『印度産加琲放香堂』の看板が並ぶ版画(神戸市立博物館所蔵)を引き延ばした壁掛けを壁一面に掛けました。最もこだわったのがコーヒーの味わいで、コーヒーミルのなかった当時の、豆を石臼で挽くコーヒーを復活させたくても、現在の抹茶や蕎麦を挽く石臼では目立てや重さが異なる。そこで、プロの石細工屋に頼んでオーダーメイドのものを作ってもらいました。

原料豆やブレンド、淹れ方にも工夫が。

当時、インド産のコーヒー豆を使用していたことから、麟太郎もインド産の豆にこだわりました。生産量世界第6位の大産地ですが、ほとんどヨーロッパで消費され、日本にはまとまった量が入らない。手を尽くして調達してくれる業者さんと出会い、良質なインド産コーヒー豆を安定的に入手するルートを確保しました。当時『焦製飲料』と称され、深煎りの濃いコーヒーであったことは間違いなく、当時の抽出方法は、ドリップではなくお湯にひたして上澄みを飲んでいたことから、フレンチプレスを採用し、コクと苦味が強いが酸味は少なく、豆の香ばしさが生き、石臼挽きならではのわずかに残る豆かすの舌触りも楽しめる、看板商品の明治復刻ブレンド『麟太郎』誕生に至ったのです。

コーヒーに「麟太郎」とはユニークな名前ですね。

幕末に『神戸海軍操練所』の設置を進言した勝海舟の幼名にちなんでおり、オンタイムで生きコーヒーの商売を始めた当時の放香堂の主人の、尊敬する人物であったと聞いています。

ところで、開店後お客様の反応は?

この間、メディアで何度も取り上げられたこともあり、当初予想を上回るお客様が来店し、ほとんどの方が『麟太郎』を注文し、リピーターになって頂いています。さらに挑戦を続け、コーヒー豆の販売や、紙コップでコーヒーのテークアウトも始めましたが、どちらも好評です。特にお持ち帰りは、CVSの100円コーヒー全盛時代に、350円という価格がお客様に受け入れられるかどうか、当初は半信半疑でしたが、観光客も多い土地柄もあり、週末には100杯近く出る日もあり、対応に追われ嬉しい悲鳴を上げています。

良かったですね。最後に今後の夢についてお話し下さい。

コーヒー豆の販売を、『神戸元町発』としてインターネットなどを通じ拡大したいこと。さらに、旅行会社や南京町などともタッグを組み、観光客を呼び込む、古くて新しい名物となるよう、独特のハイカラ文化を育んだ神戸コーヒー文化を盛り上げたいと願っています。(2016.03)

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