神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第1話 学校編(1)

第1話 学校編(1)

752-02.gif明治5年(1872)に明治政府は『学制』を定め、全国を8の大学区、1大学区を32の中学区、1中学区を210の小学区とし、全国に53,760の「小学校」(4年制)を開設する大教育構想を発表しました。翌年の明治6年(1873)にさっそく、第3大学区の神戸の西国街道筋に「一番組小学校」(3丁目)と「二番組小学校」(4丁目)が開設されたのが、元町通の「小学校」の始まりです。絵の学校は、「善照寺」(戦災移転)の本堂に開校し、翌年(明治7)に今の「海文堂書店」の向かい(山側)の「一番組戸長役場」(旧・神戸村会所)に移転し「神東小学校」と改称後の建物で、中央の山門は寺の本堂に至る入口で、9歳から13歳までの子供たちが風呂敷包みで登校し、また、同年に校内に「兵庫県師範伝習所」(現・神戸大学発達科学部の源流)も開設され、小学校教諭の養成も始まりました。同様に4丁目(山側)裏手の「間人(はしうど)塾」(神戸最初の寺子屋)に開設された「二番組小学校」も「二番組戸長役場」(旧・二ツ茶屋村会所)に移転して「神西小学校」と改称され、共に明治15年(1882)に「神戸尋常小学校」(今の「こうべ小学校」)の開校時に、同校分教場の「元三分校」「元四分校」となりました。
安井裕二郎
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