神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

シェアしてね!

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第2話 学校編(2)

第2話 学校編(2)

756-01.jpg明治6年(1873)に「一番組小学校」として3丁目に開校し、翌明治7年に改称移転した「神東小学校」の校内に開設された「兵庫県師範伝習所」は、2年後には元町駅(当時は三宮停車場と呼称)の西北(北長狭通4丁目)に移転しました。翌年の明治10年(1877)には九州で「西南戦争」が勃発し、弁天浜(今のハーバーランドの弁天町交差点界隈)に官軍の兵站基地が設置され、全国から徴兵された兵士が続々とやって来て、神戸の街で散財したので、元町通は西の方から賑わいを増していきました。同年には、慶応義塾の福澤諭吉の指導を仰いだ兵庫県令(森岡昌純)が、港町神戸にて複式簿記や物産知識を教える「神戸商業講習所」の設置を文部省に申請し、翌明治11年1月に同じ元町駅の西北に14歳以上の生徒を19人集め、慶応義塾から支配人(校長)と青年教師のあわせて3人が派遣されて開校し、その翌年の明治12年(1879)には2年制の「神戸商業講習所」が元町通3丁目に移転してきました。同年には同じ3丁目に「神戸英学校」、その次の年にも「神戸支那語学校」も開校し、元町通3丁目が神戸の商業教育の中心となりました。同校は「神戸尋常小学校」が開校した明治15年に「神戸英学校」「神戸支那語学校」を併合し、翌年には下山手に移転して元町通から去りましたが、上の絵は畳敷きの教室に4人がけの長机を置いた「神戸商業講習所」での商業実習の様子です。(明治19年に「県立神戸商業学校」と改称された「神戸商業講習所」は、日本現存最古の商業高校の今の垂水区の県立神戸商業高等学校で、平成19年に創立130周年を撃ヲました)
安井裕二郎
PCサイトを見る スマホサイトへ戻る