神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第13話 元町通の写真機店(1) 「赤壁商店」

第13話 元町通の写真機店(1) 「赤壁商店」

822-01.jpg「市田写真館」の項(第10話)で登場した神戸栄町の廻船問屋「長門屋」(光村弥兵衛)の遺児・光村利藻(妾腹の子として大阪別邸で生まれ、神戸本邸に引き取られた)が父親の葬儀写真に興味を抱き、17円50銭の大枚はたいてカメラを購入したのは居留地の「トムソン商会」。写真材料を販売する「小西商店」(コニカミノルタ)や「浅沼商会」が東京に、「桑田商会」が大阪にありましたが、舶来品も以前と根強く、神戸では元町通4丁目で、かつての二ツ茶屋村の時から代々の漢方薬種商だった「赤壁商店」では浅沼商会の写真機材料を扱っていました。世界初の量産乾板(ネガ)メーカーの「イーストマンコダック」の写真機材料を明治27年(1894)に「赤壁商店」が扱い、輸入カメラも売るようになったのが神戸初(居留地は除く)の写真機店。購入するのは写真館などのプロの営業写真師や大富豪ばかり、一般庶民が「趣味道楽」でカメラを手にすることはありませんでした。明治32年(1889)には東京大学の御雇い教授のバートン博士、チャールズ・D・ウェスト教授らの外国人の主唱で、宮内省出入りの写真師小川一真(かずまさ)らの東京・横浜の営業写真師、華族らが集まって日本初のアマチュア写真倶楽部「大日本写真会」が誕生、やがて明治34年(1901)に「東京写友会」(会長は写真好きの尾崎紅葉)も出来て、各地にアマチュア写真倶楽部が続々と生まれ、翌明治35年に神戸にも「神戸写友会」が神戸初のアマチュア写真倶楽部として誕生し、事務局が置かれたのは4丁目(浜側)の「赤壁商店」でした。
※赤壁商店は現在も同じ場所で営業していますが、創業家高濱家、中田家からさらに変遷をしており、写真機材料商時代の資料は戦災などで残っていません。
安井裕二郎
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