神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第17話 元町通の写真店 「大丸写真室」

第17話 元町通の写真店 「大丸写真室」

856-01.jpg元町通にすずらん燈が出現し、街にモダンボーイやモガが闊歩し、「本庄商会」「赤壁商店」「安井写真機店」の店頭に高級舶来カメラが並んだ昭和初期に、日本に本格的な「写真ブーム」がやってきました。5丁目の「安井写真機店」の道向かいの勧商場(今のショッピングセンターのはしり)の「元町ギルド」にはカメラ入門者向けのピンホールカメラの「メイカイ」を扱う「東郷堂」(本店は東京)も開店、元町通各丁ではカメラ小売店に商売替えする店や店舗一部で写真室を開業する店も増えました。

そんな昭和(戦前)期の神戸を代表する写真家に、東京美術学校の臨時写真科の第1期生で、同校を卒業後に渡米し、写真スタジオの「キクチ・スタジオ」で働き、ニューヨーク五番街に営業写真館「ラカン・スタジオ」を開業した福岡県生まれの中山岩太(いわた)という写真家がいます。その後にパリで舞台撮影を手がけて前衛美術にも参画、さらに、マン・レイやモホリ・ナギらが試みた「フォトグラム」を独自に試した作品で藤田嗣治の賞賛を受けて帰国した中山岩太は東京の華族会館勤務を経て、南仏に似た芦屋に移住したのが昭和4年(1929)。商業デザイナーの今竹七郎と「神戸商業美術研究会」を結成したその翌5年に、《福助足袋》で第1回国際広告写真展の1等賞を受賞、ハナヤ勘兵衛、紅谷吉之助らと「芦屋カメラクラブ」を結成、大阪の「浪華写真倶楽部」と並んで日本の写真界をリードすることになりました。昭和14年(1939)にそんな写真家に目をつけた大丸百貨店が元町店内に開設したのが「大丸写真室」。元町に出かけて中山岩太にポートレート写真を撮ってもらう。それがとびっきりのお洒落だった時代の話でした。
安井裕二郎

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