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「商鑑」とは造語です。「あきないかがみ」と読みます。「商(あきない)」とは商売で、「鑑(かがみ)」とは鑑(かんが)みる、すなわち考えることなので、「商鑑」とは商売を考えるという意味です。三木 久雄さんが「鏡」に映して歴史を考えるという趣旨で掲載しています。

第11話 バナナが消えた日

第11話 バナナが消えた日

1128-01.jpg 私は、神戸生まれ、神戸育ちですが、たまに旅に出ると、農村風景が、心のふるさとに思えるのです。

 日本が、弥生時代以来、定住型農耕社会となり、農耕の拠点が、「村」という集落であったことは、日本の社会の在り方を、「村社会」という原型に形成しました。ところで、今日、「ムラ社会」という言葉が、旧態然たる組織を批判する場合にしばしば用いられます。出る杭は打たれ、足を引っ張り合い、物言えば唇寒し、で、横並び、寄らば大樹の陰、無理が通れば道理が引っ込む。閉鎖性、付和雷同、権威主義、自浄能力欠如。組織の悪しき風潮は、ある部分、「村社会」である日本の歴史的因果でもあります。
 日本人は、農耕集落を、「村」という漢字で表現しました。「村」は中国語の読み方である音読みでは、「ソン」です。「ソン」である「村」を日本人は、「むら」と読みました。訓読みです。私は、日本の社会、組織の陥りがちな弊害を目の当たりにすると、思わず、「ムラ社会」という言葉を思い浮かべてしまいます。その「ムラ」は、「村」であると同時に、「群」なのです。日本は、得てして「群社会」、すなわち、すぐに群れるのです。群れることが日本人の習い性になっている。もしかすると、「村」という漢字を、「ムラ」と読んだのは、「村」が「群」がる所だからではないか。
 「群社会」に起こりがちなのは群集心理です。冗談のようですが本当なのは、ある日、突然、バナナが売り場から消える。納豆の時もあったし、落花生の時もあった。最近は、トマトだそうですが。バナナや納豆や落花生やトマトでは、それほど実害は無いかもしれないけれど、しかし、母は晩年、バナナが一番の好物だったのに、バナナが買えなくなったのには困りました。しかし、まさに国家の存亡に、個人の生殺に係わることが、群集心理で左右されるとしたら、これは冗談ではすみません。
三木 久雄
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