神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第10話 元町通の写真館(2) 「市田写真館と平村写真館」

第10話 元町通の写真館(2) 「市田写真館と平村写真館」

798a.jpg神戸港が西暦1868年元旦に開港すると、維新の混乱が続く神戸に外国人が続々と来神、花隈村の森川家は長崎から移ってきたフランス人写真家ゴールトに町家を貸し、同家の長男の為助が写真術に興味を抱き、ゴールトから写真機材一式を譲り受け、神戸初の写真館の「森川写真館」を開業しました。居留地の第一回目の競売が始まった明治2年には大阪にいた写真師・守田来三が今の5丁目に、また、紙幣(大坂為替会社発行)に貼付の偽造防止用写真の撮影で大儲けした横田朴斎が鯉川筋に写場を開き、写真稼業を始めました。翌明治3年には、但馬国出石藩領で生まれ、京で2年ほど営業していた市田左右太(そうた)が妻子を残して西国街道筋の今の元町通3丁目にやってきて、掘っ立て小屋の写場を開きましたが、商売になる客は外国人。市田は大きな暗箱を雇った人夫に担がせて、造成中の居留地を歩き回り、写真営業を行いました。同じ年には旧二ツ茶屋村の豪商「茶屋」こと高濱家の次男に生まれて幼くして花隈村の森川家の養子となり、後に為助が生まれて縁家の平村家に養子に出された平村徳兵衛(友人の保証人になって失敗し居留地で工事人夫をしていた)が外国人から写真機を譲り受けて「平村写真館」を創業、明治9年に元町通6丁目の横小路に移転した写真館は、翌年の西南戦争時には神戸に集まった官軍兵士が最後の身姿を写しておこうと、早朝から長蛇の列を作る繁盛ぶりだったといいます。かたや、妻子を呼び寄せた3丁目の市田左右太は、明治12年には2丁目浜側(今の1番街の西半分)に移転して立派な西洋写真館を新築し、上野彦馬・弟の上野幸馬仕込みの市田左右太は「神戸一の写真師」と全国に知られるようになりました。

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(前号文中の森川為助が居留地の造成工事人夫との記述は訂正。
森川為助は後に5丁目に神戸初の眼鏡店の現「めがねのモリカワ」を創業、神戸現存最古の平村写真館は戦後に5丁目に移転、元町通で最初の西洋建築の市田写真館は戦災焼失しています)
安井裕二郎


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