神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第21話 為替会社

第21話 為替会社

明治2年(1869)に明治政府は貿易を管理する役所「通商司」を置き、その監督下に全国の8有力都市に「為替会社」を開設し、神戸では9月に、伊藤博文・井上馨・岩崎弥太郎らと親交の深い今の元町通4丁目(当時の東本町)の政商・専崎弥五平の料理屋「鉄屋」の隣接地に、『兵庫為替会社』を置きました。政府の貸下金23万円に加えて各地の豪商の資金11万8千円を加え、同時に『通商会社』を設立し、「為替会社」が紙幣を発行して後者に貸付け、殖産興業の仕組みが出来ました。頭取は両者共に兵庫の豪商・北風正造(荘右衛門)が務め、例えば金沢藩(加賀藩)が着手した製鉄所(加州製鉄所)に融資するなど「為替会社」は重要な役割を果たしましたが、製鉄所の経営不振で資金は焦げ付き、明治4年には「通商司」自体が廃止され、同時に元町通の「為替会社」も休止となりました。翌明治5年11月に政府は国立銀行条例を発布、半官半民の「為替会社」に代わる民間銀行が第一国立銀行からやがて第153国立銀行まで出来るなど民間金融の時代が始まりました。(為替会社があった場所は現在の4丁目山側 、以前に「文具のナガ」の店のあった今の「ファッションイトウ」の界隈と推定しています)
安井裕二郎
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