神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第16話 元町通の写真機店(4) 「本庄商会」

第16話 元町通の写真機店(4) 「本庄商会」

840-01.gif明治中期に4丁目に「赤壁商店」、大正元年(1912)に5丁目に「安井写真機店」が開店した元町通に、大正3年(1914)に3軒目のカメラ店が今度は3丁目に創業しました。場所は「」の道向かいの山側の「本庄呉服店」の店内。創業したのは神戸尋常小学校を卒業し、「英学塾」(後のパルモア学院)に通って単独渡米してイーストマン・コダックに入社の経歴を持つ須磨生まれの本庄憲三郎。そもそも男6人女2人の子だくさんの呉服店主の父親が大のカメラ好き、呉服模様の商品撮影が得意で、その影響で、小学生の身分でカメラを学校に持ち込む熱の入れよう、帰国した16歳の時に長兄と共に呉服店の一部を改造して輸入カメラを扱う「本庄商会」を創業しました。開業年に第一次世界大戦が始まって、アメリカ・ドイツからの輸入がストップするも、直後に神戸では「成金」が続出して経営は軌道に乗り、大戦後の大正9年(1920)には、「世界のカメラ王」のジョージ・イーストマン社長が神戸の店に来日する栄誉を受けました。大正12年(1923)には飄然と単独で欧米に視察旅行、二眼レフの全盛時代を見越してローライ・フレックスの日本代理店として帰国後の大正15年(1926)に今度は6丁目に「本庄商会卸部」を開設しました。神戸で長者番付の常連になる本庄憲三郎は、3丁目の店を改装して「本庄フルーツパーラー」も開店、昭和14年(1939)には4丁目の高架下に「ニュース映画館」を開館しました。に「本庄商会卸部」を開設しました。神戸で長者番付の常連になる本庄憲三郎は、3丁目の店を改装して「本庄フルーツパーラー」も開店、昭和14年(1939)には4丁目の高架下に「ニュース映画館」を開館しました。

※元町通の戦前史に多くの足跡を残した本庄商会は戦後は阪去O宮駅に移転、現在は本庄(株)として王子公園で営業しています。
安井裕二郎

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