神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第36話 続・元町喫茶店史―4軒のカフェー

第36話 続・元町喫茶店史―4軒のカフェー

cont08b-3601.gif前回は元町第一号の「三星堂ソーダファウンテン」について書きましたが、今回は、その後に開店した今はなき4軒のカフェー「ビーハーブ」「エスペロ」「ランクル・ブルー」「ウィンナ」を紹介します。

(1)「ビーハイブ」(今の1番街の山側にあった)
「川瀬日進堂書店」の2軒東隣、「宮崎ギフトショップ」の西隣(当時)にあった純米国式レストラン・カフェー。UA(ユナイテッド・アーティスツ)大阪支社勤務の20代の淀川長治(兵庫在住)が常連客で、映画愛好者が集まり映画談議に花が咲いた。

(2)「エスぺロ」(3丁目の山側にあった)
「マスヤ」の隣の角にあり、開店が大正14年(1925)頃のカフェー。店主は外国航路の元船長で、「エスペロをまだ訪れて見ない方が神戸にありませうか?」の宣伝文句、「深夜の太陽」と呼ばれた美しい女給がいるモダンな店だった。しばしば個展が開催され、また詩人が集まった店はミルクコーヒーを「コンデッチ」という名で神戸で最初に売りだした。

(3)「ランクル・ブルー」(5丁目の浜側横小路にあった)
5丁目の老舗「今井度量衡店」(明治6年創業)の2代目店主弟の今井朝路が実家の店横の小路に開店した"青い錨"という意味の欧風茶寮。今井は総裏赤の黒マントを裏表に着て『赤マント』と呼ばれた関西学院出の若手画家で、今東光の小説「悪太郎」に登場する有名人。店は小松益喜(異人館の画家)のスケッチにも描かれたが長くは続かなかった。

(4)「ウィンナ」(5丁目の浜側にあった)
昭和7年(1932)開店の関西の名曲喫茶の草分け店。当時の日本に数台しかないと言われたアメリカ製電気蓄音機「クレデンザ」が店主・上田利正の自慢の店には少女時代の辻久子が父親に連れられ大阪からやってきた。空襲焼失したが、戦後に復活、その後ビル地下の店として昭和53年まで続いた。(同店の閉店を惜しんだ元常連客が同じ場所で開店したのが名曲喫茶「アマデウス」で、同店は、経営者は変わりましたが現在も営業中)
安井裕二郎

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