神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第3話 学校編(3)

第3話 学校編(3)

763-01.gif現在の元町通はかつて神戸村・二ツ茶屋村・走水村の村央に西国街道が走り、神戸村の東に生田川(今のフラワーロード)、3村の西に宇治川(今は暗渠)が流れていました。その昔に走水村(今のほぼ5丁目界隈)に間人(はしうど)という古代姓の村人が住み、5丁目にある走人神社の社名由来、村名の由来はこの「間人」に起源する説、宇治川がたびたび氾濫しての「走る水」に起源する説の2説があります。後に間人家は隣村の二ツ茶屋村に移転し、1802年(江戸後期)に立派な屋敷を建て、当地の元祖・寺小屋として多くの村児童や文人などが食客となる文化拠点となりました。明治6年(1873)3月にこの間人家(間人市郎左衛門)の家塾を借用して「二番組小学校」が開校し、翌7年1月に本通りの旧二ツ茶屋村役場に移転するまで、「一番組小学校」と共に多くの児童が通いました。また、通称「間人塾」と呼ばれた同家の間人たね子は児童教育に心血を注ぎ、翌明治8年に改称移転した近くの「神西小学校」(4丁目山側の少し入った所)で、一時閉鎖されていた校舎に明治19年(1886)11月に西日本初、神戸初の幼稚園「間人幼児保育場」を創立、翌年3月に「間人幼稚園」と改称し、折り紙・積み木・パズルなど最新のフローベル流の幼児教育を実践しました。(日本初の幼稚園は明治9年(1876)に開園した「東京女子師範学校附属幼稚園」で、現在のお茶の水女子大附属幼稚園の開園日11月16日は「幼稚園記念日」とされています)
安井裕二郎
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