神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第5話 学校編(5) 

第5話 学校編(5) 

773-01.jpg明治時代の元町通4丁目(北側の裏筋)には元寺小屋の間人(はしうど)塾に明治6年(1873)に「二番組小学校」が創立し、翌年に同校は「神西小学校」と改称、さらにその翌明治8年に新築校舎が竣工して、元町地区西部の小学生が風呂敷包を持って通学しました。その後、明治15年には元町の2校を含めた4校で「神戸尋常小学校」(今のこうべ小学校)が創立し、同校は分教場の「元四分校」と呼ばれ、のちに間人幼稚園も併設されて幼児・小学生が通いました。商人が多く住む元町通は好不況が街に反映される特徴があり、日清戦争後の明治31年8月には小学校内に「市立神戸商業補習学校」が開校、日露戦争後の反動不況時の明治40年(1907)4月には廃止となった「元四分校」の跡地で商業補習学校の校舎を改築して私立学校「神港商業学校」(市立神港高等学校の前身のひとつ)が開校し、第一次大戦時の好況時には丁稚奉公人が通う夜間学校、大正6年(1917)4月には隣接地に鈴木商店(後の日商岩井、現・双日)の女主人・鈴木よねの尽力で「市立神戸女子商業学校」(これも市立神港高等学校の前身のひとつ)も開校しています。関東大震災の2年後の不況時の大正14年(1925)3月には元町商人の「竹馬商店」らの尽力で「神港中学」(神港学園神港高等学校)がこの地で開校式を行い、電車が通るたびに校舎が揺れるという木造校舎で、多くの若者が昭和8年に山本通の神戸女学院跡に移転する迄の間勉学にいそしみました。元町4丁目は「神港学園」「市立神港高校」(昭和24年に改称)という2つの高等学校の生誕の場所だったのです。
安井裕二郎
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