神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

この企画は、かつての西国街道が「元町通」(明治7年)となり、商店街となった大正末期・昭和初期から、アーケードが完成する昭和28年までの「元町通」を紹介するコーナーです。

第6話 骨董店編(1) 「越後屋」

第6話 骨董店編(1) 「越後屋」

778-01.gif神戸より一足早く開港場となった横浜では、外国人貿易商は幕府役人を多く取引相手にしたため、日本人の気を引こうと、競って商館玄関に盆栽を飾り、室内には甲冑・槍・陣梶E屏風・掛け軸などを飾りました。神戸港が開港し、同じく外国人居留地が開設されると、この慣わしは神戸に持ち込まれ、外国商館を人呼んで「御(お)屋敷」、居留地に隣接する元町通の今の1番街、3丁目にはこの「御屋敷」相手の骨董(英語でキュリオ)を扱う店が自然と軒を並べました。外国商館に出入りする羽振りのよい日本人はやっかみ半分に「屋敷者」と呼ばれ、その代表格が紀州生まれで京の道具屋あがりの池田清右衛門。明治7年には玄関前に金属燈籠、玄関口に金の衝立を置いた「お屋敷」を居留地36番館に構え、イギリス人を2人雇い古美術・骨董を直接輸出する「越後屋」を開業、後に元町通3丁目に移転しました。明治15年の商店案内「豪商神兵湊の魁」には当時の広告が掲載されています。後に1丁目に店を移転した池田清右衛門改め池田清助は、神戸に電灯会社設立の話があった折には骨董品が変色するなどと元町商人の重鎮として猛反対、明治28年に京都に新古美術工芸品を扱う「池田合名会社」を設立、後に同社の神戸支店は大阪の老舗古美術商「山中商会」に引き継がれ、元町通の骨董商としての足跡は途絶えたように見えますが、明治41年(1908)に京都の古美術商が古美術・骨董を仲間売買する「京都美術倶楽部」を設立し、初代社長に池田清助が就任、元町で鍛えた「目利き商人」の名は日本の古美術の歴史に名門「山中商会」の名とともに刻まれました。(池田合名会社神戸支店、山中商会ロンドン支店に勤め、欧州最高の中国陶磁器コレクションのひとつのバウアーコレクションの協力者・富田熊作の猪名川町の旧宅は「静思館」として公開されています)
安井裕二郎
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