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「商鑑」とは造語です。「あきないかがみ」と読みます。「商(あきない)」とは商売で、「鑑(かがみ)」とは鑑(かんが)みる、すなわち考えることなので、「商鑑」とは商売を考えるという意味です。三木 久雄さんが「鏡」に映して歴史を考えるという趣旨で掲載しています。

第15話 名は体を表す

第15話 名は体を表す

1150-01.jpg  私の名前は「久雄」です。幾久しく、雄々しくあれ、という両親の願いで名付けられたのでしょう。

 聖徳太子は生前、「聖徳太子」と呼ばれていたのではありません。本名は「厩戸皇子(うまやどのみこ)」です。平たく言うと「馬小屋王子」でしょうか。「聖徳太子」という名前は聖徳太子没後100年以上経った後、その偉業を称えて名付けられたのです。「厩戸皇子」と言う名前の由来は、「厩戸」すなわち厩舎の前で生まれられたからという伝説があるそうですが、母親の実家である蘇我馬子の屋敷で生まれたからという説とか、午(うま)年の生まれであったからという説があるそうです。
 しかし何もここで「厩戸皇子」の名前の由来を詮索するつもりではありません。100年後に「聖徳太子」という如何にも偉業に相応しい名前が付けられたのと比べると「厩戸皇子」という本名が逆に相応しくないように思えるからです。ところが当時の実力者の名前は、蘇我氏が「稲目」「入鹿」「馬子」、対立する物部氏が「麁鹿火」「尾輿」です。「稲」であったり、「鹿」であったり、「馬」であったり、現代の感覚で言うと、決して有難い名前には思えない。
 奈良時代になると貴族の名前は、藤原氏が「武智麻呂」「仲麻呂」、橘氏が「奈良麻呂」、大伴氏が「安麻呂」「古麻呂」、となぜか「麻呂」の付いた名前が多い。ところが平安時代になると、藤原氏が「良房」「道長」「頼道」、菅原氏が「道真」、在原氏が「行平」「業平」、紀氏が「友則」、など、「長」であったり、「平」であったり、「道」であったり、「良」であったり、「友」であったり、今の私たちにも好ましい字が用いられています。
 源平の時代になると、平氏が「清盛」「重盛」「宗盛」「敦盛」、源氏が「義朝」「頼朝」「義経」「実朝」となる。平氏には「盛」が、源氏には「義」「朝」という文字が受け継がれている。執権政治の北条氏であれば「泰時」「時頼」「時宗」で「時」が受け継がれる。室町時代の足利氏であれば「尊氏」以降「義満」「義持」「義政」と「義」が受け継がれます。江戸時代の徳川氏では「家康」「家光」「綱吉」「吉宗」など「家」と「吉」が受け継がれる。武士が「盛」「義」「朝」「時」「家」「吉」を大事にしたことが伺われます。
三木 久雄
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