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「商鑑」とは造語です。「あきないかがみ」と読みます。「商(あきない)」とは商売で、「鑑(かがみ)」とは鑑(かんが)みる、すなわち考えることなので、「商鑑」とは商売を考えるという意味です。三木 久雄さんが「鏡」に映して歴史を考えるという趣旨で掲載しています。

第18話 なぜ農家の人たちが「お百姓さん」なのでしょう。

第18話 なぜ農家の人たちが「お百姓さん」なのでしょう。

1169-01.jpg 「お百姓さん」って、姓を持ったたくさんの人たち、という意味なのですって。それだけ「お百姓さん」がたくさんいたということですよね。

 日本が家族主義社会であるのは、弥生時代以来、定住型水稲耕作社会であったからです。水稲耕作が日本に伝播し、定着したのは、日本の風土が水稲耕作に最適だったからですが、水稲耕作には文字通り水が重要です。日本の国土は水に恵まれているのです。さらに夏が高温多湿であるという気候も稲の生育には適しています。しかし夏の高温多湿は稲だけではなくすべての植物の生育にも適するので稲作は雑草との闘いでもあります。さらに水の管理、虫の駆除、水稲耕作は、集約的労働が必要不可欠なのです。しかし、労苦の果ての収穫は、干害、風水害、虫害を克服すれば、極めて多大です。
 明治維新以降、欧米列強の植民地化を阻止するために、工業、商業の発展を国家事業として強力に推進し、近代化を達成する以前の日本は、就労人口の圧倒的多数を農業従事者「お百姓さん」が占めていました。日本の風土が水稲耕作に適していて、豊饒の実りがもたらされ、日本人の生存を保障するに足る収穫があったからです。
 日本が、定住型水稲耕作社会になったのは、日本の風土が類稀なほど水稲耕作に適していたからですが、収穫の大前提は土地です。しかし土地は、自然のままでは水稲耕作が出来ません。稲作が可能になるように、田圃として開墾しなければなりません。開墾した田圃も、灌漑、施肥、草取り、と維持、管理しなければ稲作適地とならないのです。ですから、土地は、開墾者の家系が、代々にわたって稲作適地として、維持、管理する代償として、所有権を確保するのです。その結果、土地の所有権は、嫡子(長男)が相続するという家父長制が成立したのです。
三木 久雄
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