神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

「商鑑」とは造語です。「あきないかがみ」と読みます。「商(あきない)」とは商売で、「鑑(かがみ)」とは鑑(かんが)みる、すなわち考えることなので、「商鑑」とは商売を考えるという意味です。三木 久雄さんが「鏡」に映して歴史を考えるという趣旨で掲載しています。

第8話 楽市楽座

第8話 楽市楽座

1108-01.jpg 神戸元町商店街は五つの振興組合から成り立っています。振興組合は組合員から成り立っていますが、目的は組合員の商売が成り立つことです。その昔の「座」なるものは、今で言うなら振興組合でしょうか。

 鎌倉時代から室町時代にかけて生産の拡大に伴って余剰生産物が増大し、交換経済が活発になりました。訪問販売であれ、店舗販売であれ、商業活動が活発化すると同時に、同業者の組織である「座」が発生しました。「座」は、その構成員の育成、保護を目的として、協定価格、協定数量の遵守、新規参入の阻止、など、規制を通じて業界の秩序を築いたのです。「座」の形成によって、商業の順調な発展が基礎付けられました。
 「座」とは文字通り「座る場所」のことで、「座」の構成員に入ることは「座る場所の占有権」を確保することに繋がります。しかし座る場所を占有することは、居座り状態を招きかねません。「座」によって保障された営業権が、構成員の既得権となって、公平な競争、業界の活性化が損なわれる危険をはらみます。「座」という業界組織の本来の趣旨を喪失して形骸化しかねないのです。
 戦国時代、割拠する群雄は、戦争に勝つために軍事力の強化に全力を傾注しましたが、軍事力の基礎は国力以外の何物でもありません。国力を増進するために、農業、工業の更なら発展に努力し、そのために商業の更なる発展に尽力をつくしました。その具体策が「楽市楽座」です。天下一統を目前にした織田信長が、安土城下で実施した「楽市楽座」はつとに有名です。
 織田信長は、戦国の世を勝ち抜き、天下一統を成し遂げるためには、国力の充実こそ至上命題だと認識し、農業、工業の更なる発展には、商業の振興こそ重要であるという理解から、商業の活性化の阻害要因である「座」の閉鎖性を打破し、安土城下への商業者の新規参入を促進するために「楽市楽座」を打ち出しました。その目的は、商業の振興によって、物流が加速し、全国各地から物資、資金が参集することで「富国強兵」を成就するためでした。
三木 久雄
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