2001年4月から12月に、毎日新聞に掲載紹介された元町周辺の歴史や出来事を紹介しています。
「ここが神戸のもとの町」
- 開港で発展に弾み -
1868年の神戸港開港以来、神戸は日本の欧米文化を取り入れる窓口となり、
「ハイカラ神戸」が誕生した。元町はその玄関口として、
外国人・日本人を問わず港へ集まる多くの人々でにぎわうようになり、
今の神戸元町商店街に続いている。「元町点描」では歴史を振り返り、
新たな時代を切り開いていく商店街の姿を紹介していく。【辻 加奈子】
JR元町駅の東口を降りて浜側へ約150メートル。
バラを形どったステンドグラスを埋め込んだ青いガラスのアーチが、
神戸元町商店街の東側入り口だ。ここから1丁目から6丁目まで約1.2キロ、
高さ約7メートルのアーケードとれんがで舗装された通りに、
洋服店や菓子店など約320店が並ぶ。
通りの歴史は古い。7世紀に始まる律令時代には、九州・大宰府と京都、
奈良を結ぶ幹線道路「山陽道」として整備されている。
このころ、「戸」(家族)を納税の単位とする国・郡・里制が整えられた。
なかでも神社が所有する戸は「神戸」と呼ばれ、
元町通周辺は生田神社(中央区下山手通1)の「神戸」だった。
神戸市の地名の由来である。
山陽道は近世に入ると「西国街道」と呼ばれるようになり、
参勤交代の大名行列や飛脚、行商人らが盛んに行き来した。
3、4丁目付近は「二ツ茶屋村」と呼ばれたが、この村名の由来は、
戦国時代に荒木村重を城主とする花隈城(中央区花隈町)が織田信長に攻められて落城し、
このとき落ちのびた武士2人が、人通りは多いのに休憩する場所がなかった同地区で、
雑貨を売ったり茶を飲んで休けいする店を始めたことだという。
現代でも3丁目に「二つ茶屋」という和菓子店兼喫茶店がある。
山崎重美店長(61)は「1950年にここで開業する際、
中央区楠町7の廣嚴寺の先代住職に名付けて頂きました。
シンプルですが本物の味を守り続けております」と話す。
1868年、神戸村(今の1、2丁目)の海岸にあった神戸港が開港。
すぐ西側には平安時代から瀬戸内海屈指の港として知られ、
日宋貿易で平家の繁栄を支えた兵庫港があったが、
人家が多くて外国人居留地を作る用地がなかったことなどから、
神戸港が開港場に選ばれたという。
開港6年後の1874年、港のそばで西国街道沿いにあった神戸村、
二ツ茶屋村、走水村の3村は合わせて「元町」になった。
開港の影響で一帯は人がたくさん集まるようになったため、
「ここが神戸のもとの町」という意味で名づけられたという。
この前後から、商店街は本格的に発展していく。
◆元町点描1回目 2001年4月7日
毎日新聞掲載記事の転載