神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

明治初年の元町商店街

明治初年の元町商店街

 外国人の流入で、三村をとりまく環境にも変化があった。
 人口の増加である。慶応四年二月、伊藤俊介が「外国人から諸品買取ったときは運上所へ届け出免許をうけるよう通知しているが、その最後に但し書きとして、当地居住の者はいうに及ばず、他所よりやってきた人も同様に心得るべき、としている。但し書きしなければならいほど、外国人と取引を希望するひとが地方からやってきた。
 貿易の品々は前回かいた。三村を東西につらぬく西国街道筋にはどんな店があきなっていたのだろう。
 昭和十三年二月に、兵庫県立第一神戸商業学校の商店経営調査部が発行した「商業経営事情」のなかに〝神戸元町商店街の変遷〟と題した章がある。
 そのなかで、古老寺本善五郎が当時の記憶に基づいて作成された地図によりまとめた業種別の店舗数の記述がある。
 寺本の生年は不明だが、それなりの記録があったのかもしれない。
 つぎのとおりである。
味噌醤油商 2、 和菓子(煎餅餅を含む) 4、 茶類 1、 豆腐商 1、 煙草商 2、 素麺 2、 建具表具 10、 家具指物 2、 荒物 2、 陶磁器 1、 薪炭 1、 油商 3、 紙商 4、 玩具 1、 薬品 4、 両替屋 4、 質屋 4、 飛脚屋 2、 呉服羅紗 3、 糸・毛糸 1、 小間物 1、 洋品類 1、 下駄 2、 傘 3、 仕立て屋 3、 米屋 6、 和洋酒 5、 八百屋 8、 理髪 2、 風呂屋 1、 旅館 1、 料理屋 1、 医師 3、 その他 3
 その他を含めて三十あまりの業種の店が軒をつらねる。
 明治初年でめだつのは、全体の一割りをこえる一〇店舗の建具表具店である。神戸港は開かれたが、外国人の住むための居留地は未完成で、神戸へきたものの住むところがない外国人を受け入れるために、三村も含めて雑居地として外国人の住むことが認められた。建具表具店のうしろには、大工がたくさんいたにちがいない。
 両替屋と質屋で八店舗ある。節季払いの習慣ものこる時代、金融機関としての存在の大きさを証明する。医師が三店かまえ、薬屋が四店舗もあり、救急設備のととのったまちでもある。
 一方、八百屋の八店舗に見るとおり、街道は地元住民のための台所としての役割もになっていた。米屋の六店舗をはじめ味噌醤油屋に豆腐商、お茶屋もあり薪炭がある。素麺屋は、魚崎に工場をかまえる製造業者の販売店であったかもしれない。
 煙草屋もあり酒店もある。和菓子は、砂糖のない時代、せんべいの類いが中心の店だろう。飛脚屋が三店も店をはるなかで、すでに呉服羅紗が三店も名乗りをあげている。
岩田照彦
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