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夢街道
神戸村の商い
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
神戸村の商い
2008/06/01
夢街道
ひとつの職業をとりあげていくと明治時代の商店街が形作られるまでには途方もない時間がかかるため、「商店街」そのものを基準に、その成り立ちから考えてみたい。すでに三村にはふれているので、重複する場面があるかもしれない。
明治四十四年三月発行の「西摂大觀」によると、神戸村は、東を生田川、西は二つ茶屋村、北を生田宮村及び北野村を区域とする、とある。神戸村が、東を居留地の東面を流れていた生田川とし、北へは北野あたりまでふくめた広さをもっていたことがわかる。そこに住まいした生田神社の神戸(封戸)四十四戸を母胎にはじまる神戸村だが、ある老人の昔物語りとしてかきとめている。
神戸村とは今の城ケ口邊にありて、元と生田神社に付属せる四十四戸なるに、後ち商業の為め今の濱地へ移転せしものなり
城ケ口という地名は、公式な名称とされなかったが、古図にみると、天神社のふもと北野村から山裾沿いに一丁ばかり西へいったところに「神戸ノ内城ケ口」の表示がある。
そこからの一本道を真っすぐ南へくだると、現在の穴門筋あたりから元町商店街をへて海岸通に通づる道がある。のち生田宮村と称せられ、現在は下山手通一丁目のあたりになる。「新抄格勅符抄」によれば大同元年(806)、生田神の封戸四十四戸が、城ノ口から海岸通に通づる道をたどり、商業のため元町界隈に進出したことになる。
浜地へ移ってどんな商をするか。物々交換で自給自足ができる暮らしのなかで、初物や、できのいい農産品を生田の神への供え物としていたのだろう。生田の神への供え物として、絹、糸、綿、布、酒稲などが記録にのこる。
浜地に住まいを変えたひともあれば、住まいはそのままに街道筋を生かした商業への道を考えたひともいたにちがいない。
生田の神は、「稚日女尊」(わかひるめのみこと)である。生業を守護する神である。神の加護を信じて、はじめは目の前の浜で漁をたのしみながら生活の向上をはかったのだろうか。神功皇后が、新羅遠征からの帰途、難波の港へむかう船が進めなくなったとき、稚日女尊が長田、広田の神とともに生田に鎮座して航海を助けたという縁から、封戸である村人らにも海への関心はたかかったにちがいない。
やがて浜には酒蔵がならぶようになる。松屋、俵屋などの船持ちが諸国の産物をあつかい、元禄のころには三百戸、天保十四年には六百七十戸と記録され、廻船などでにぎわう村になった。人口がふえて、往来には商品化されたものを並べる店もできたろうが、記録にとどめない。街道筋という立地から、住民のための品物から旅人の必需品をあつかう店もその顔をだしはじめただろう。しかし、神戸村の骨格をささえ、商店街への道を培養する大きな役割を果たしたのは、生田の神に仕える封戸がはじめた海運と酒造業があった。
岩田照彦
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