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夢街道
大西座 (四)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
大西座 (四)
2007/11/01
夢街道
元町で初名乗りをあげる歌舞伎そのものの由来をみておこう。
慶長八年(一六〇三)、京都に出雲大社の巫女と名乗る女があらわれた。踊るためにうまれてきたような女である。名を、お国といった。徳川家康が江戸に幕府をひらき、戦乱に非業の死を遂げた人たちをとむらう気持ちと平穏な日々への喜びがかさなって風流踊りが国中にひろがっていた。神仏と死者へのおもいが庶民の心底にわきでる時代だった。
お国は集まった女たちで一座をつくり、北野神社の境内に小屋掛けする。振りをそろえた踊りに、当時、かぶき者の風俗を舞台にとりいれる。お国は、伊達なかぶき者に扮し猿若と呼ぶ道化者を供に連れ、女装の狂言師が演ずる茶屋女のもとへ通う茶屋遊びの様を感能的に演じた。お国の踊りは遊女を巻き込み、遊女歌舞伎として全国的に流行する。
寛永元年(一六二四)、風俗を乱すとして幕府は遊女歌舞伎を禁止した。
あとを継いだのは、前髪をつけた美少年が、舞や軽業などの芸を扇情的に演じる若衆歌舞伎である。承応一年(一六五二)幕府は、若衆歌舞伎も禁止した。衆道の売色を兼ねており、遊女歌舞伎とおなじように弊害をもたらす、というのが理由である。翌年、若衆を象徴する前髪を剃り落とし、物真似狂言を演ずる条件で、野郎歌舞伎として再開する。
女の歌舞伎から男の歌舞伎へ。感能的で扇情的な踊りを失った歌舞伎は、はじめて演劇に目覚める。野郎だけでは劇にならない。野郎歌舞伎の先に女形の創造があった。
元禄時代(一六八八~一七〇四)。豊かな町人層にささえられ歌舞伎は時代の寵児になる。江戸では、初代市川団十郎が、全身紅で塗り固め、大太刀に斧をもった坂田金時役の「荒事」とよばれる演劇様式を生み出す。京都では初世坂田藤十郎が、お家騒動の犠牲になって追放されていた若殿が昔なじみの遊女をたずねる茶屋遊び、お国歌舞伎の伝統をうけつぐ演技様式「和事」を確立した。この時代、近松門左衛門ら作者が自立し、役者評判記もこの時代、容色から技芸評が中心になって舞台をそだてている。
享保から宝暦(一七一六~六四)にかけ、倹約令をともなう幕府の政策で歌舞伎は沈滞期を迎える。それを支えたのは大阪で人気の人形浄瑠璃である。当たり狂言を歌舞伎の舞台にのせ、命脈をたもつ。
やがて歌舞伎は人形浄瑠璃から戯曲の構成や演出、演技をくみとり、庶民文化の代表に返り咲く。セリ上げや回り舞台を工夫し、能舞台から縁を切り演技の世界を広げる。
寛政六年(一七九四)、合理的な構成とテンポある筋の運び、人物の性格描写に特色をもつ上方作者の並木五瓶が三世沢村宗十郎とともに江戸へ下る。「東海道四谷怪談」にみる狂気と怨念に彩られた人模様を舞台化した鶴屋南北。上方から下った名優四世市川小団次と組んで市井の小悪党を主人公に名作をうみだす河竹黙阿弥の時代にうつる。
その間、天保一二年(一八四一)、財政再建を柱とする幕府の改革政策の前に芝居の取り潰しの危機にあうが、明治五年、新政府の干渉がはじまるまで、江戸の三座(中村座・市村座・守田座)が猿若町へ強制的に移転させられ「猿若時代」とよばれた歌舞伎のまま、大西座が元町で開演する明治三年をむかえている。
岩田照彦
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