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夢街道
大西座 (八)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
大西座 (八)
2008/03/01
夢街道
嵐璃寛。文久元年(一八六一)の舞台に名を出す役者である。屋号を葉村屋といった。天保八年(一八三七)上方の生まれで十四才で父と江戸へ下り、河原崎座につとめた。万延元年(一八六〇)、大阪筑後芝居で市川滝十郎が口上を述べ、四代目嵐徳三郎を襲名。そのころ、北船場平野屋の娘おつねが、徳三郎扮する女役似顔の錦絵を抱き締め、焦がれ死にした。平野屋に乞われ、焦がれ死にした娘の死に水を取ったという。明治元年(一八六八)、大阪筑後芝居で四代目嵐璃寛を襲名、牛若・お染久松に七役で大当たりをとり、一等鑑札の公認役者として名古屋、大阪、東京と三都の舞台で活躍した。台詞術といわれる発音や抑揚、間の取り方を心得た発声、声の質をふくめた表現力、その場に合わせ臨機応変に発する捨て台詞まで観客を沸かせる技量をそなえていた。役柄も善人で思慮深い立派な男役に限定された立役と、遊女や芸者、姫など幅広い役をこなして人気役者だった。
四代目嵐橘三郎。屋号を伊丹屋といい、俳名を梅猿といった。天保十二年(一八四一)六月生まれ。九才のとき安芸宮島の三桝大五郎一座で初舞台を踏んだあと、大阪、神戸、岡山、広島、松江に巡業、京都では南座で「蝶千鳥曽我実録」で重忠と義盛の二役をこなす技量をみせた。関西歌舞伎界では貴重な存在の役者として七十五才まで務める。役柄は幅広く、立役と女方を兼ねたうえ、「みるとそのままにくらしく、無理な事のみいい、いかつがましき顔」の敵役までこなした。
片岡我当。安政四年(一八五七)三月生まれで屋号は松島屋。俳名を我当または万麿と称した。万延元年、江戸中村座で子役として初舞台をふんだのち大阪中の芝居、角座、浪花座、神戸大黒座、京都南座、東京春木座、歌舞伎座で活躍。大阪角座で十一代目片岡仁左衛門を襲名した。時代物と世話物に適し、立役、敵役、女方を兼ね、濡れ事を中心に展開される柔弱な男性の行動をあらわす和事、普通の男性が悲劇的な状況の中で苦悩するありさまを描写する芸の形の実事を演じたが、最も得意としたのは和事の芸だった。
市川右団次。天保十四年(一八四三)七月の生まれ。俳名を家升、屋号を鶴屋。大阪道頓堀の茶屋鶴屋に生まれた。幼くして博労町へ丁稚奉公にでたが、仕事をせずに役者の真似ばかりするため追い出される。十歳の嘉永五年二月ころ、道頓堀若大夫座「伊賀越」に本名のまま幇間福八役で初舞台を踏む。京都から江戸の舞台へ。父母の不仲のため母と上方へもどり、文久二年(一八六二)八月、京都北側芝居で初代市川右団次を襲名する。一七年角座が落成し、座頭である右団次が新築の趣意をのべた。以来、関西歌舞伎随一の役者と呼ばれる。東京春木座のお名残狂言では大仕掛けの宙乗り、南座で怪談ものの早変わり、中座では「鯉つかみ」の水芸と宙返りで大当たりをとり、後の舞台に影響を与えた役者の一人とされる。
この顔ぶれから、大西座が第一級の劇場であったことは明らかだろう。
これらの役者が登場する舞台は、大芝居と称された。年に四十日余りの興業である。劇場の空いてる日は、二番手の役者をそろえた中芝居がつとめる。その合間には、地芝居で名をあげていた播州歌舞伎の一座もむかえて大西座は年中にぎわいをみせた。
岩田照彦
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