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夢街道
湊川
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
湊川
2000/07/01
夢街道
かつては、通行手形なしで通れなかった湊町の門をすぎ、西国街道を東にむかう。 湊川堤防までは、一町半余、しかし、のち元町とよばれる土地までに、自然の難所がひかえていた。 湊川である。
古い松の並木を見あげると、そこが堤防であり、川であることを教えられる。 西国街道は、堤防で途絶えている。橋がないため行きどまり、といってよい。 土砂にうまった川床だが、雨でながれがないと歩いてわたることができる。 道らしいものも、向こう岸までつながっていた。 一八六一年(文久元年)の夏、初代駐日英国公使ラザフォード・オールコックは、長崎から江戸への帰り、開港が予定されている兵庫に立ち寄り、「かつては幅の広い川が流れていたろうが、いまは水が涸れ、ひときわ目立つほど砂利や砂の山が町の路面よりも高く水路に堆積していた」と記録している。 湊川は、まわりの平野面より高い川だった。
長年の放置で土砂が堆積したものだが、橋をかけないのは、人や物の自由な移動をきらう徳川幕府の政策でもあった。 通貨の基準になる米の値段が、ところによってちがってはこまるのだ。 外国との交流を禁じたのも、その延長線上にある。幕府にとって、橋のない川は自然にゆだねた物の流通をさまたげる関所の役割も果たしていた。 住民の不便など、考慮になかった。幕府が直接支配する時代が長く、橋をかける意志はなかったのである。
雨が人の足を止めて潤うところもある。 兵庫の東のはずれの佐比江町である。 お茶屋や、花魁の家もあって、三味線の音色がひびき、近くには遊女屋もある。 隣接する算所町には、村芝居を演ずる明治座もある。 旅人が、雨による足どめを口実に、旅の憂さをなぐさめるにことかかない店が軒をつらねていた。
西国街道にありながら、のち元町となづけられる地域と兵庫のまちの間によこたわる湊川に、橋の建設ばなしがもちあがったのは徳川一四代将軍家茂(いえもち)が、二度目の長州征伐をきめたときである。
地元から労力や金が集められにちがいない。 建設にかかったものの、弱体化した幕府の指示で工事がはかどったかどうか。 木製の橋が、はじめて湊川にかかったのは、家茂が大阪の陣中で亡くなってから4年ちかくも後の、明治元年(1868)である。
雨が降りださない間に湊川をわたり、元町への道を急ごう。 橋がないために利益をうけるひともあった。
岩田照彦
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