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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

元町の教育事情(11)

元町の教育事情(11)

 往来物について
 往来物とは、平安時代から明治末年までに使われた書簡体による初等教科書である。その原典といわれるものは、平安時代末期の学者であり文人の藤原明衡(ふじわらあきひら)(宝暦二年没)の「明衡往来」だ。一〇種を超える写本のなかで「群書類聚」収録のものによると、貴族間、貴族と僧侶間の往復文で、交遊・贈答・貸借・依頼・神事・祭礼・仏事・地方官動静・作歌作文など、当時の貴族が営む日常生活や儀式・行事が中心で、一般民衆の風俗や、国司が貢納を怠っている実態をしるしたところも見られる。
 一般民衆の風俗などはともかく、貴族の暮らしを語る往来の編集が広く流布するようになったのは、往復文の形にあった。往復文は問答の形に通ずるところから、明治の初年までに七千種も数えるといわれる往来物を生み出したのである。
 編集の形にもいろいろあり、古い往来物は、消息文例を無造作に集めた明衡往来型、一年十二か月を、各月別に模範となる消息文を集めた十二か月往来型、消息文によく使われる語句・短文を列挙した雑筆往来型、消息文例と単語集を組合わせて書式・諸芸に必要な知識を与えようとした庭訓往来型、武士の教養を目的に、一般的な消息文のほかにいろいろな文書の書式を取り入れた富士野往来型、の五種類になる。
 江戸時代になると、寺子屋の普及にともなう庶民教育の発達で、地理、歴史、産業、経済など、暮らしのあらゆる日用の知識を取り上げ、それぞれの分野でつかわれる文字の習得を目的にした初等教育に、書簡文形式の往来が出版された。田舎往来、百姓往来、大工作業往来、番匠往来、諸職往来、万物往来、四民往来、世界商売往来など、特定の業種を対象にした何々商売往来まで、多く出回っている。
 間人寺子屋で児童の教材にあげられたのが、商売往来と問屋往来である。
 商売往来は、商売や貿易に必要な文字・知識、商人生活の心得を中心に編集したものだ。
 問屋往来は、貨幣の両替や諸国廻船、荷物の取り扱い、帳面のつけ方など、問屋業務に必要な事柄を書き記したもの。寺子屋では、商売と問屋に関係する家の児童が多数派を占めていたことがわかる。
岩田照彦
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