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夢街道
三軒屋の相生町
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
三軒屋の相生町
2000/08/01
夢街道
わたしたちはいま、賑やかな兵庫のまちをあとに、民家よりもたかい川底の湊川をわたりきったところ、相生町の西の端にたたずんでいる。 相生町という、れっきとした町名をもちながら、家はそまつな茅屋が三軒をかぞえるだけ、長年、一帯は三軒屋ともよばれてきた町である。
西国街道の道幅は2間とあるから4メートルたらず、道の両側には背のたかい松が20余本つながり、青空にはえる。道の路肩は芝でおおわれ、両側には水田や菜園がひろがっている。
長年、参勤交代の一行やゆきかう旅人の足もとをささえてきた道は白くかたい。 外国から兵庫開港の要求をうけ、国内では長州討伐をひかえた徳川幕府に往年の力はなく、世情騒然としたなかで、春の夕暮れがちかいというのに街道をゆき来する人の姿もある。
いそぎ足の飛脚の肩とぶつかるのをあやうく避けながら東にむかう。やがて道の左手の路傍に石標があり「楠公の墓」とある。
徳川光圀が編纂をはじめた「大日本史」。 そのなかで、正統と認めた南朝の後醍醐天皇に忠誠をつくした人物として大きな評価をうける楠木正成。 最後は、足利尊氏の軍に湊川の戦いでやぶれる。 敗北を覚悟した楠木正成が自害したのは広厳寺の支坊のひとつである無為庵で、のち正成の塚として伝えられるものがたんぼの中にあった。 江戸時代、尼崎藩主青山幸利によって梅と松をうえ、五輪塔をたてている。 さらに広厳寺の和尚千厳の請願によって元禄5年(1962)、光圀は家臣の佐々宗淳を湊川へ派遣し建碑の指揮にあたらせ同年完成、自分の手で「嗚呼忠臣楠子之墓」とかいている。
土手になった街道から斜めにわかれたあぜ道は、兵庫の町から神戸村への間道につながる。 間道にでるあたりに墓地があり、埋められたばかりの新しい墓もみえる。
山麓から街道まで、広漠たる一面の斜面に広がる耕地には、かがしの姿が点在し、そのなかを村童が牛の背にまたがってゆったりと里にむかう。
東南の方を眺めると、視界をさえぎるるものはなく、油のような水面の海に大型の外国船にまじって1枚帆の和船の姿もみえる。 若者のむつごとが風にのって、かげろうのように聞こえてくる。 鍬をたて、たばこをふかしながら山をみ、海をかえりみる農夫。 その側を、農夫に軽く会釈して老人があぜ道を下っていく。 手をひく女童のカゴにある早蕨は、諏訪山からつんできたものだろうか。 このような詩ごころをかきたてる風情は、わずかに30年前の昔と、明治31年発行の三十年史の著者は書いている。
菜の花や摩耶を下れば日のくるゝ
与謝蕪村が、旅したときの句である。
岩田照彦
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