ENGLISH
簡体中文
繁体中文
한국어
Tiếng Việt
アクセス
サイトマップ
サイトのご利用について
ENGLISH
簡体中文
繁体中文
한국어
Tiếng Việt
お知らせ
神戸元町商店街とは
イベント
お店を探す
元町マガジン
動画・写真ギャラリー
元町マガジン
シェアしてね!
HOME
元町マガジン
夢街道
舗装のはじめ
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
舗装のはじめ
2010/11/01
夢街道
明治のはじめ、神戸外国人居留地には、石張りの広い道が伸びていた。その目と鼻の先といってよい元町通に、舗装という化粧がはじめてほどこされるのは大正八年(一九一九)だ。自治権をもっていた外国人居留地の道路と比較することはできないが、九米への道路拡幅からさらに三〇年をへて新しい顔をみせることになる。
道路の拡幅で、ゆったりと歩行を楽しめると喜びはしたものの、日が経つにつれて路面の痛みも目立ってくる。商いの店が並んだ道には、それぞれの持ち場で、来客のための手入れに余念はなかっただろうが、それでも雨上がりの道には水たまりができ、凹凸の道に悩まされるひとも多く、ぬかるむ道を敬遠するひともある。乾いた季節には、商店主が、商品に忍び寄る砂塵との格闘に明け暮れる日もあった。
国としても、道路への関心は高いとはいえなかった。内務省は明治二三年一二月に道路法案を起草したものの閣議を通らず、明治二九年にも上程したが衆議院で否決、明治三二年の上程は審議未了、道路法が成立するのは大正八年(一九一九)、元町通舗装の年にあたる。
東京では大正一〇年(一九二一)道路舗装は道路総面積の一割に過ぎなかったが、大正一二年(一九二三)九月一日に発生した関東大震災後の昭和五年には、道路総面積に対して五割を超える道が舗装された。
舗装の技術は関東大震災後、一気に進んだと思われるが、元町が舗装されたころは手探りの段階だった。神戸市史は「道路舗装の材料は未だ試験的に属するを以て、その施工も各種の材料を部分的に試用せざるにすぎず」と書いている。
すでに軒を連ねる商店街としての風情に彩られていた元町通である。馬車や人力車の類いが重量物であり、路床上の支持力など厳しい条件を求められることはなかっただろう。
採用されたのは、砕石、砂、石粉とアスファルトを加熱融合させ、これを敷きながら上から締め固めるアスファルト舗装だった。
アスファルト舗装によって歩行者は、雨の日もぬかるみに足をとられることはなくなったが、商店の側には、アスファルトへの照り返しによって籠もる熱をどう防ぐか、籠もった熱をどう逃がすか、新しい問題にも直面して面食らうこともあっただろう。
しかし、来街者にとってアスファルト舗装は、かつての道にくらべ足元のさばきは格段に楽だった。
ぬれて光ったアスファルト 青いマドロス 恋あさる 恋あさる・・・
元町通を歌う神戸行進曲が口ずさまれるようになるのは、さらに数年後のことになる。
岩田照彦
2017年
洋服の話(8)
2016年
洋服の話(7)
洋服の話(6)
洋服の話(5)
洋服の話(4)
洋服の話(3)
洋服の話(2)
洋服の話(1)
缶詰の話(2)
缶詰の話(1)
但馬牛のこと
屠殺の話(2)
屠殺の話(1)
2015年
元町通の獣肉店(2)
元町通の獣肉店(1)
食した獣肉の種類
牛肉・販売量の増加
牛肉の話
肉食雑記(3)
肉食雑記(2)
肉食雑記(1)
維新前の肉食事情
すき焼き(2)
すき焼き(1)
神戸牛
2014年
写真の話(5)
写真の話(4)
写真の話(3)
写真の話(2)
写真の話(1)
神港中学校
六月女子学校
商業教育
元町の教育事情(18)
元町の教育事情(17)
元町の教育事情(16)
元町の教育事情(15)
2013年
元町の教育事情(14)
元町の教育事情(13)
元町の教育事情(12)
元町の教育事情(11)
元町の教育事情(10)
元町の教育事情(9)
元町の教育事情(8)
元町の教育事情(7)
元町の教育事情(6)
元町の教育事情(5)
元町の教育事情(4)
元町の教育事情(3)
2012年
元町の教育事情(2)
元町の教育事情(1)
昭和十年十二月時の元町商店街
元町商店街の組織(3)
元町商店街の組織(2)
元町商店街の組織(1)
初代鈴蘭灯 弾丸に
広告に顔をださなかった店主たち(6)
広告に顔をださなかった店主たち(5)
広告に顔をださなかった店主たち(4)
広告に顔をださなかった店主たち(3)
広告に顔をださなかった店主たち(2)
2011年
広告に顔を出さなかった店主たち
新聞広告紙面に登場した店舗群
鈴蘭灯の仕様と設置場所
鈴蘭灯(百貨店の下足問題)
鈴蘭灯(当時の元町で商う大型店)
鈴蘭灯(元町デパート)(8)
鈴蘭灯(元町デパート)(7)
鈴蘭灯(元町デパート)(6)
鈴蘭灯(当時の電力事情)(5)
鈴蘭灯(当時の世情)(4)
鈴蘭灯(続ける理由)(3)
スズラン灯余談
2010年
スズラン灯
舗装のはじめ
道路拡幅
広くならなかった街道
村里から市形へのなかで
「みち」の管理
「みち」の構造
「道」についての余談(2)
「道」についての余談(1)
西国街道から商いの道へ
市
2009年
貨 幣
太宰府
海外派遣
山陽道
西国街道
明治四十四年ころの商店街(八)
明治四十四年ころの商店街(七)
明治四十四年ころの商店街(六)
明治四十四年ころの商店街(五)
明治四十四年ころの商店街(四)
明治四十四年ころの商店街(三)
明治四十四年ころの商店街(二)
2008年
明治四十四年ころの商店街(一)
明治15年の4~1丁目店舗群
明治15年の6・5丁目店舗群
明治のはじめ
走水村の商い
二つ茶屋村の商い
神戸村の商い
大西座 (十)
大西座 (九)
大西座 (八)
大西座 (七)
大西座 (六)
2007年
大西座 (五)
大西座 (四)
大西座 (三)
大西座 (二)
大西座 (一)
見世物
売込問屋
営業束縛の悪弊を禁ず
触れ書きにみる心意気
明治維新直後のお触れ 掃除
維新直後の布達2 帯刀
布達にみる世相 乗馬
2006年
幕末から明治にかけての村役人
神田孝平 (七)
神田孝平 (六)
神田孝平 (五)
神田孝平 (四)
神田孝平 (三)
神田孝平 (二)
神田孝平 (一)
明治初期3村の暮らし
2代目から6代目までの兵庫県知事
伊藤俊介(博文)
東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)
2005年
明治初年の元町商店街
明治維新当時の商店街
神戸、貿易のはじまり
三村の外国人取引
雑居地と貿易
雑居地の警備
雑居地、その家賃
柴田剛中(10)
柴田剛中(9)
柴田剛中(8)
柴田剛中(7)
柴田剛中(6)
2004年
柴田剛中(5)
柴田剛中(4)
柴田剛中(3)
柴田剛中(2)
柴田剛中(1)
専崎彌五平(6)
専崎彌五平(5)
専崎彌五平(4)
専崎彌五平(3)
専崎彌五平(2)
専崎彌五平(1)
生島四郎大夫(12)
2000年
続 神戸村
神戸村
二ッ茶屋村
走水村
三軒屋の相生町
湊川
兵庫のまち
はじめに
PCサイトを見る
スマホサイトへ戻る