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夢街道
洋服の話(6)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
洋服の話(6)
2016/11/01
夢街道
洋服の広がり
洋服着用者をふやすための道のりを考えてみたい。
官吏の洋装化は明治三年から始まっていたが、翌四年には警察官、郵便夫人服、五年には鉄道員の服も制定された。兵庫県会では、明治十二年開催の第一回の県会で、二名しか洋服の姿はなかったが、議員間の申し合わせによって明治十五年にはすべての議員が洋服になった。県会議員にも、洋服をそろえるには三年の猶予が必要だったのだろう。
政府も、洋風化への道を追いかけていた。明治十六年一月、東京に鹿鳴館が完成する。仮装舞踏会に集う華やかな洋装スタイルは、庶民には縁遠い世界だが、その姿は写真や印刷物で広く伝えられ、庶民に洋装へあこがれの話題を提供した。
明治二十年四月二十日、伊藤首相官邸での仮装舞踏会、十一月三日鹿鳴館での天長節大夜会ではタキシードを着た紳士も登場する。神戸でも同日、県会議事堂に名士とその夫人が集って華やかな踊りを繰り広げ、西洋音楽の調べが議事堂を取り巻く群衆の耳にまで届いた。
入場者を、洋服着用者に限るとしたのは、明治三十六年三月から大阪天王寺公園で開かれた第五回内国勧業博覧会だ。普通人は燕尾服、有位有爵者は所定の位階服(大礼服)に限られ、羽織はかまは入園不可というものだった。この規定は人々を驚かし、洋服注文の起爆剤になる。京阪神の仕立物洋服商は活況を呈し、来田寅蔵、柴田音吉、神崎友三郎、松原小太郎など燕尾服の注文が殺到、京、大阪と技術面でしのぎをけずった、という。
追い打ちをかけたのが大正元年九月、明治天皇の大葬だ。各文武官は大礼服調整の必要に迫られ、三年四月、昭憲皇太后が崩御、翌四年十月十日には、大正天皇が即位式を京都紫宸殿で行った。即位式には大礼服、フロック、モーニング、背広、夜会服、その他婦人各種洋服が盛んに用いられるようになる。神戸洋服の名声を伝え聞いた華族、官吏、実業家などからの注文で、当時、元町通に店をもつ神崎、島崎、島谷、神尾、柴田、(金)、柴田(M)、鈴木、西尾、長谷川などは、徹夜仕事に追われたようだ。
世界大戦の好況に支えられ、その後も洋服の需要は伸び続けたが、大戦後の不況は業界に異変をもたらした。安い洋服を求める声である。これに応じて既成服が普及し始めた。洋服は、はじめて大衆に手の届く衣服になり、一気にそのすそ野をひろげてゆく。
岩田照彦
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