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夢街道
元町の教育事情(4)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
元町の教育事情(4)
2013/02/01
夢街道
当時、周辺では間人のほか濱野、大村、津屋、日高、杜川寺子屋の名前が残るが、ここでは、いま元町通四丁目になる二つ茶屋村にあった間人寺子屋について書く。
神戸新聞に掲載された笹倉忠雄・佛教大学講師の報告によると、間人寺子屋は、享和二年(一八〇二)に建てられた黒い板囲いのある建物で、昭和二十年三月の空襲で焼け落ちるまで、花隈と元町通の間に残っていた、という。また神戸区教育沿革史は、そこはもともと間人家が盛業のころの隠居所で、四十坪ほどの敷地だった。
十二坪の建物を教室として用意し、生徒が増えてさらに十二坪の二階建屋を増築している。部屋の中だけで収容できないときは、縁側も教室として利用した。
平面図を見ると、中央に十畳の表座敷と仏間がならぶ。仏間は、内壁を一面に金箔でぬりあげる豪華なものだった。そこには数体の古仏像が安置され、古刹の趣きである。
その古仏は、寿永三年(一一八四年)源氏と平家が対峙する生田の森の戦いで、大軍を擁する平家軍のなかに飛び込み、源氏方を勝利に導くための先駆けで命を落とした河原太郎と次郎兄弟のため、源頼朝が建立した報恩寺の仏像だった、と伝えている。報恩寺は、その後の戦乱で焼失、存在した場所もさだかでないが、おそらく河原兄弟が落命した場所跡の周辺にあったのだろう。古仏は、法然上人の遺物とともに仏間におさめられていた。
隠居所の仏間は、住む人の心のよりどころである。仏間は十畳の表座敷に隣りあって玄関にも近く、児童の教場向きの位置にある場所だが寺子屋をはじめてからも教室に転用されることはなかった。内壁を金箔で塗り上げていたため、容易に動かしがたい事情はあるが、むしろ間人家には、通ってくる児童に法然上人の意志を伝えようとの思いからではなかったか、と察せられる。
法然は、律令制度の秩序を乱す悪党を取り締まる押領使の時国を父に、絹織物の業を営む渡来人の秦氏一族を母にもつ。父時国は、土地争いで人の憎しみを買い、巻き込まれて母も殺された。法然は、死を予感した父時国から、仇討ちを考えず、仏門に入って菩提を弔うよう諭された。十五歳で比叡山へ入り、僧になる。修養の果て、人間の救済を約束する阿弥陀仏の本願を得るために会得した専修念仏の道。
源平の戦乱で律令社会は崩壊、権力が京都の王朝から鎌倉幕府に移る。諸行無常の世の中で、法然の教えは旧来の仏道に欠かせなかったきびしい修行や複雑な理論、財物の布施など、人間は平等を理由に一切を削ぎ落としたものである。法然の説く専修念仏は貴族、武士、農村はもちろん男女の別なく受け入れられた。
法然の遺物、その正体は分からないが、古仏は阿弥陀仏と想われる。寺子屋をはじめるに当たり、間人家では、仏間に人間の平等を語らせようとしたのではないだろうか。
岩田照彦
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