神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

缶詰の話(2)

缶詰の話(2)

 明治十五年十一月出版の「豪商神兵 湊の魁」をひらいてみよう。当時の、兵庫・神戸で活躍していた商店を、木版画刷りを入れて紹介した冊子である。
 住所は、兵庫県下神戸元町、その下に、諸缶詰売捌所。間口のひろい店構えの正面右端に「神戸名物牛肉缶詰製造所」。1階ひさしの上に横文字で業種の案内があり「SUDZUKI & CO」とある。番頭さんが広い床の奥にすわる。その前で店員や来客が数人、広い土間の奥には、上部に大型の陶器製ともみられる器の商品が並び,下段は瓶詰がならぶ。店内は、客と店員ら十人余りの立姿。店先には、行き交う人の間に、工場から到着したばかりなのか、箱詰めされた商品が路上に積み上げたままだ。
 神戸ではじめて缶詰を売り出した店の主は鈴木清である。外国から、缶詰が大量に輸入されているのを知り、缶詰製造所を始めた鈴木は、保存目的だけの欧米からの輸入品とはちがう味に挑戦した。当時はやりのすき焼き味の缶詰だ。何度も失敗を繰り返し、やっと販売にこぎつけたのが日本発牛肉の缶詰「大和煮」。鈴木は、友人や知人を有馬温泉に招待、完成した缶詰、大和煮の試食会を開く。が、缶詰を開けると、すべて腐敗していた。販売済の商品もあり、鈴木は、顧客の信用が第一と、製品販売の中止と販売済みの商品を回収、この対応は美談となり,佃煮缶詰「大和煮」は評判になる。
 たべもの起源事典で牛肉の缶詰の始まりをみると、中川幸七が一八七九(明治十二)年、一八八一(明治十四)年には、牛肉・かに・まつたけの缶詰広告が「朝野新聞」に掲出され、同年、東京上野で開催された第2回内国勧業博覧会では、牛肉・豚肉・羊肉・鹿肉の缶詰が出品とある。が、大和煮缶詰は国民新聞の一八九四(明治二十七)年十二月二十六日号で「東京東洋舎にて販売する牛肉、鶏肉大和煮は、軍人、軍艦の間に評判よろしく」が初登場だ。大和煮缶詰は、一八九四(明治二十七)年に始まった日清戦争で、重宝されたことだろう。
 鈴木清商店は、一八九五(明治二十八)年四月十四日付の神戸又新日報に「商品ハ信用ヲ實ブ」の見出しで広告している。拙店の商標に似た紛らわしいもの、東京から来た鈴木某は神戸牛の鈴木缶詰といい売るものなどある、拙店製造品の品質が卓越している結果であるが、「商標ト鈴木清ノ文字ニ能ク御注意アランヲ斯フ」と。
岩田照彦
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