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夢街道
大西座 (三)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
大西座 (三)
2007/10/01
夢街道
「芝居」といえば「小屋」である。が、この時代、その「小屋」で演ずるのは「歌舞伎」である。
歌舞伎を演ずる小屋「大西座」が、どんな造作だったか、想像してみたい。
地図のうえでは、かなり広大な敷地をしめる。ほかには建物の記述のない地図だから、異常な広さの敷地である。大阪の西に君臨する大劇場としての意思表示を地図の作者にもとめたか、あるいは当時の芝居によせる庶民の人気を反映して目立つ広さにしたとも考えられる。神戸市全図といってよい地図のうえに表示された「芝居」は、この一軒だけなのである。
代表格の芝居小屋らしく、当時としては最大の十二間間口(二一・六メートル)で奥行き二十間(三六メートル)の建物である。柱と柱のあいだを土壁でぬりかため、屋根は瓦ぶきだ。中二階をもつその姿は、街道筋にかまえる大店のなかでも、ひときわ目を引く建物だったにちがいない。
街道に面した入り口には、東西に木戸があり、となりあって桟敷客への入り口がある。
木の香もかぐわしい小屋の中へはいると、正面に晴れやかな舞台をのぞむことができる。
十一間幅の舞台ができるのは、大西座ができてさらに後の明治五年(一八七二)東京の森田座に始まるというが、幕府のひざ元からは遠い地での小屋である。間口十二間にたいし、ほぼそれと同じくする十一間幅の、思い切った舞台が、そこにはできていた。
舞台にむかって左側の下手には、舞台から鳥屋まで、斜め一直線に花の役者が通る花道がはしる。鳥屋(とや)とは、花道の終わりで役者が姿を消す出口の部屋である。舞台から鳥屋に向かう中ほどの手前に、劇中に登場する妖怪や妖怪使いなどの出入りのための切穴「スッポン」も用意されている。
茶・黒・緑の歌舞伎カラーを染め上げた「定式幕」をくぐって舞台にあがると、そこには回り舞台の装置もあった。舞台下手奥には舞台下や花道下の奈落に通ずる階段があり、さらにその下手には中二階から二階への階段がある。階段を上がると小道具の部屋がある。廊下をはさんで下手から上手に、衣装蔵、作者部屋、興業主が陣取る頭取部屋、囃子部屋、大部屋がならぶ。
椅子席が導入されたのは明治四一年東京にできた新築の有楽座からであるが、外国人も観劇する大西座では、一部に椅子の用意もした。しかし、全体の観客席は、従来の小屋にのっとった配置である。せりだした舞台正目には、ふたり桝のかぶりつきがある。その後ろは「平土間」と呼ばれた桝席が碁盤の目にならぶ。もとは予約客のため縄張りしたのがはじまりで、のち木材で仕切りをするようになったものだ。このころ、ひと桝は七人の席とした。後ろの木戸口にちかいところは、「追込場」とよばれた大衆席である。その一角には、場内に目を配るため一段高くなった高場がある。上客のために設けられた桟敷席は、東西の一階と二階に設けてある。よく見ると、さらにその奥にも桟敷がある。セリフも聞き取れないのではと思われるほどの奥桟敷で、俗に「つんぼ桟敷」といった。
櫓の骨組みも仕上がって、出し物の飾り付けをまつだけの大西座である。
岩田照彦
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