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夢街道
洋服の話(1)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
洋服の話(1)
2016/06/01
夢街道
日本人が、はじめて西洋の服と対面したのは一五四三(天文十二)年八月、漂着してきたポルトガル人を見た種子島の人たちである。衣裳の珍しさより、翌年、彼らが持ってきた銃に関心が集まった。衣裳では飾り物に興味をそそられたくらいで、西洋服そのものについては関心はなかったようだ。余談だが、その銃が戦場で使われたのは三十二年後の一六七五(天正三)年で、天下無敵といわれた甲州武田氏の騎馬隊に立ち向かった織田信長鉄砲隊の勝利でその威力に目覚め、近代化がスタートする。
徳川幕府による鎖国政策のなか、西洋式の火器を使った訓練は、一八四一(天保十二)年から始まっていた。この訓練で着用していた衣服は、農民が労働着にしていた筒袖の上衣に立付袴だった。西洋服と同じように、上下二部式の訓練に適した仕様である。
一八五六(安政三)年、幕府は築地に講武所を開設、剣や槍、砲、水泳など従来の武道のほか、軍艦操練や縦隊調練まで行うようになる。この時も、筒袖に立付袴だった。その後、幕府は一八六一(文久元)年、筒袖羽織陣股引(ももひき)を導入、「戎服」(じゅふく)と呼んだ。軍艦や大きな船の乗組員のほか、武芸修行者の利用を認めた。はじめての軍服である。西洋人の服装に似ているが、あくまでも和服であることを証明するため、外国人の服と紛らわしくないよう仕立てることを条件にしていた。
一八六六(慶応二)年、筒袖股引は調練以外でも使用することが許され、公用には羽織を重ねることとした。同年十一月、戎服を「そぎ袖羽織細袴」と呼称を改め、陸海軍の平服とした。徳川幕府の施政下、あくまでも和式にこだわった軍服である。「そぎ袖羽織」はレッスン羽織、「細袴」は「段袋」とも呼ばれ、ゆるやかな股引のことで、ズボンの日本語訳である。生地も従来の木綿から羅紗にして、洋服にちかい着心地にしている。翌年、幕府はフランスから軍事教官を招き、軍の服装は、完全に和服から洋服に衣替えする。
幕府の時代が終わって明治政府として歩みだした一八七〇(明治三)年、政府は陸軍を幕府と親密な関係にあったフランス式を、海軍に薩長と関係の深いイギリス式を導入、軍服についてもそれぞれの形を採用して、陸海軍の制服が制定されることになる。
洋服は、活動的な機能を重視する軍服で、その幕を開くことになる。
岩田照彦
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