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夢街道
大西座 (一)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
大西座 (一)
2007/08/01
夢街道
前回、見世物にまつわる布達を紹介した。
巷でみられる不法な、というより見苦しい見世物をとりしまるためのもので、正道をゆく見世物を対象にしたものではない。開港による三村を中心にした当時の空気をつたえるための布達だが、本道の見世物をわすれては本末転倒の夢街道になってしまう。
明治三年ごろ元町にはじめてできた劇場「大西座」についてかく。
慶応四年(明治元年)に神戸船戸町・多田屋善九郎、大阪の河内屋善兵衛、小嶋屋伊兵衛、柏原屋平兵衛によって発行された地図によると、いまの元町通六丁目にあたる市場町に面した浜側に「芝居」と表示されているところが「大西座」の場所である。
芝居は、ひとの暮らしのなかにすでに入り込んでいた。農村にも舞台が点在していたし、神社の境内を利用して演ずる旅役者もいる。村の芝居好きが集まって演ずる芝居もある。
兵庫算所町には、古くから小屋があった。小屋での興業は、江戸や大阪のほかでは許可されない時代、駅伝費用を捻出するための口実で許可されたらしい。市街地から離れた場所であったが、大阪から名の通った俳優も出演して兵庫自慢の劇場だった。明治二一年「兵庫の村の芝居改築せられて明治座と称す」というから、明治のはじめも村芝居の拠点として利用されていた。
「既に貿易開始の建令ありて、開港地前途の繁盛なるべきは、何人も想像する所」となっていたが、大西座を建てようという思いに踏み切らせたのは、すぐ西に流れる宇治川をはさんで、いまの東川崎町、御用邸近傍の専崎彌五平の土地だった一部を画して福原遷都の名にちなみ「福原」と名付けた遊郭が明治元年の末開業したことである。遊郭の設置を出願したのは藤田泰蔵を総代とする仲間だが、同じころ劇場の建設を出願したのは「神戸の所謂顔役と称する布引の重吉なりき、其劇場の名を布引座と称す」とある。「大西座」の出願記録はない。
「大西座」を起こそうとする事業主は、江戸か大阪か、他所からのひとで、地元の顔役ではなかったのだろう。宇治川をはさんで遊郭があり、その東に厳島神社があり、船の荷揚げ場がある。ひとのあつまるところである。事業主は、宇治川で遊郭と一線を画した六丁目の立地のよさからとりあえず用地を手に入れ、観客の動向を見極めながら、協力者からの資金が集まるのをまって小屋を建てる計画だったのではないか。地図が制作された慶応四年から推して、布引座の建設を申し出た重吉とおなじように興業を出願していなければならないからである。
慶応四年作成の地図に「芝居」と記載されていることから、明治元年には、その場所に劇場建設のための土地を確保していたことはまちがいない。
さら地のままでそのつど仮の小屋をしつらえ、芝居を演じたのではないか。その芝居も、役所への届けをもとめられない二番手の役者で興業したのであろう。地図上の「芝居」という表現がそうではないかと想像させる。
大西座を語るまえの「芝居」開業年のところで紙面がつきた。
岩田照彦
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