神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

元町の教育事情(8)

元町の教育事情(8)

 間人寺子屋の「教授及び取締」の項に「常に三百名内外の児童を有せし寺子屋なれば、一人の師匠よくこれを取扱い得べきものにあらず。従って、市郎左衛門夫人刀自子はその女子部を担任せり」とある。
 常に三百人がいたとは限らない、授業日は決まっているものの出入り自由の寺子屋だ。休む児童もあったろうが、自習中心とはいえ、一人の師匠でどのように寺子屋全体の管理ができたのか。
 師匠は、全児童を一目で見渡せる位置に大きめの机を据える。その前と左右に机を置き、一度に三人の児童を座らせて筆の使い方や読み方を教える。
 この授業を円滑に進めるため、児童に役員制度を設けた。入学して半年以上の者を「加番」、二年以上の者を「当番」、三年以上の者が「見回り」である。当番と加番は一日交替で、半日が勤務、半日は授業を受ける。
 加番の仕事は庭の掃除と履物の管理だ。当番は、児童の名前を記録した帳面を持ち、着席の時「××さんお座り」、女子は「○○さん、お座り遊ばせ」と呼んで座らせ、退席の時は「××さんお帰り」、女子は「○○さんお帰りあそばせ」と呼び、一人ひとりあいさつして退出させる。
 見回りと当番の役目は、児童登校の際、机や文庫の配列、終わるときは机と文庫の片づけと掃除など、室内の整理整頓が課されていた。席次はきまっておらず、見回りと当番役の者が都合のよい自席を決めたあと、出席してきた者からよい席を占めていく。見回り役は、鞭を持って児童を監督した。
 退出時、門の前、上下辻の三か所に、上級生の見回りが立つ。帰る児童は上級生に敬礼して家路につく。入学して半年を過ぎた全児童が役員を務めるが、体の弱い者や低能の者、不具者は除外された。間人寺子屋は、師匠と児童の二人三脚で機能していたのである。
岩田照彦
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