神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

商業教育

商業教育

  元町にあったのは小学校や師範学校、語学学校だけではない。開港以来、急速に発展する貿易港をひかえ、商業教育への対応が急がれた。東京には明治八年、森有礼により木挽町に商法講習所が設立されている。神戸でも明治十年以降、活発になった市況を背景に、商業に従事する若者のための教育施設を求める声が高くなっていた。
 森岡県令は明治十一年一月、東京についで神戸にも商法講習所を開設するため、北長狭通にある県所有の校舎をあて、学校の開設を県勧業課長の牛場卓蔵に命じた。県が月に二百円を投じて三年間、試験的に実施しようという計画である。福沢諭吉に学んだ牛場は、慶応義塾と契約、三名の教師が派遣され同年十二月、県の布達により十四歳以上の入学資格で修業年限は二年、正科と夜学科生を募集した。開校時、正科に十九名、夜学科に五十名が応募、授業がはじまった。
 翌十二年、講習所は元町三丁目に移転した。移ったときには正科に七十五名、夜学科一一〇余名にのぼったという。働きながら学ぶ生徒の多かったことがわかる。
 授業の紹介に、まず「簿記」とある。イギリス人の著書が日本に紹介され、アメリカ人の著書を福沢諭吉が翻訳したのが明治六年という新しい学問である。東京では原書による講義もあったというが、神戸での授業はすべて翻訳書によった。
 当時は様式の高度な簿記を取り入れる店も少なく、従来からの地元商人が使ってきた略式または本式帳号の作法も教え、神戸の商いに適応できるようにも配慮した。実地練習用に通貨のひな形を用意して実務を体得させるというきめのこまかさである。
 簿記のほか商業、物産、経済、法律、地理、歴史、和漢文、算術代数幾何、図画など多岐にわたる。十二年十一月には神戸区長・武井正平らが設立した神戸英語学校を、十三年には藤田積中らの設立になる支那語学校も講習所に併合、授業内容を充実させた。十四年から生徒の年齢を十三歳以上に改め、修業年限を三年、学科に外国語もくわえ、十五年には四年生の普通科と二年の高等科をおき、明治十六年下山手通四丁目へ移転、同一九年には県立神戸商業学校となる。
 元町六丁目に神戸簿記学校を設け、生徒八十余名の記録もあるが詳細はわからない。
岩田照彦
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