ENGLISH
簡体中文
繁体中文
한국어
Tiếng Việt
アクセス
サイトマップ
サイトのご利用について
ENGLISH
簡体中文
繁体中文
한국어
Tiếng Việt
お知らせ
神戸元町商店街とは
イベント
お店を探す
元町マガジン
動画・写真ギャラリー
元町マガジン
シェアしてね!
HOME
元町マガジン
夢街道
写真の話(1)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
写真の話(1)
2014/08/01
夢街道
元町商店街には、開港と共に、新しい店が開かれた。そのひとつに、写真店がある。
写真機が、日本へやってきたのは一八四〇(天保十一)年とされる。医薬品やラシャ、象牙などの商品とともに、高価な幕府への献上物を積んで長崎港にやってきたオランダ船、コルネリヌエンユールローテ号だ。写真機械一式は、積み荷としてではなく、乗組員の私物として目録に記載されていた。
それは、ダゲレオタイプといわれた銀板写真機械一式で、フランス人のタゲールが考案、銀メッキをかけた銅版に像を食塩水で直接定着させる方式で、三七年に完成したもの。 どのような経緯か明らかでないが、長崎の理化学研究者である上野俊之丞常足が、その機械を入手した、というのである。
俊之丞は一七九〇(寛政二)年、長崎銀屋町に生まれ、長崎奉行所直属の御用時計師役を務めた。家庭でもオランダ語で用を足すほどで、シーボルトをはじめ、多くの外国人から理化学の指導を受けている。俊之丞はまた、絵事を好み、西洋画法も体得していた。化学と西洋絵画が、対象物をそのまま写し取る写真への、かぎりない好奇心をかきたてたのだろう。
何らかのルートで、写真というものの発明を聞きかじっていたとしても、奉行所直属の時計師であり、オランダ語が得意だったとはいえ、ローテ号にその現物があることを、どうして知ったのか。知り合いの乗組員がいたのか、それとも、長崎へ行けば、高値で売れる、という持ち込み者の算段にのったのか。なぞの多い流通経路だが、ともかく、俊之丞の手に入ったことは、日本の写真界のとって大きな福音をもたらしたことにまちがいない。
俊之丞が、写真機の取り扱い方まで教えられた、とは思えない。機械を前に、映像を目にするまで、悪戦苦闘の日々を重ねたのではないだろうか。
翌四十一(天保十二)年五月、俊之丞は西洋機器、薬物製造の委嘱を受け、海路、薩摩の国へ入った六月、島津斉彬を撮影した。俊之丞は、自分の姿に対面する斉彬の表情を、どのような気持ちで見ていたのだろう。
日本ではじめての撮影、と記録されているが、写真の現物は現存しない。
岩田照彦
2017年
洋服の話(8)
2016年
洋服の話(7)
洋服の話(6)
洋服の話(5)
洋服の話(4)
洋服の話(3)
洋服の話(2)
洋服の話(1)
缶詰の話(2)
缶詰の話(1)
但馬牛のこと
屠殺の話(2)
屠殺の話(1)
2015年
元町通の獣肉店(2)
元町通の獣肉店(1)
食した獣肉の種類
牛肉・販売量の増加
牛肉の話
肉食雑記(3)
肉食雑記(2)
肉食雑記(1)
維新前の肉食事情
すき焼き(2)
すき焼き(1)
神戸牛
2014年
写真の話(5)
写真の話(4)
写真の話(3)
写真の話(2)
写真の話(1)
神港中学校
六月女子学校
商業教育
元町の教育事情(18)
元町の教育事情(17)
元町の教育事情(16)
元町の教育事情(15)
2013年
元町の教育事情(14)
元町の教育事情(13)
元町の教育事情(12)
元町の教育事情(11)
元町の教育事情(10)
元町の教育事情(9)
元町の教育事情(8)
元町の教育事情(7)
元町の教育事情(6)
元町の教育事情(5)
元町の教育事情(4)
元町の教育事情(3)
2012年
元町の教育事情(2)
元町の教育事情(1)
昭和十年十二月時の元町商店街
元町商店街の組織(3)
元町商店街の組織(2)
元町商店街の組織(1)
初代鈴蘭灯 弾丸に
広告に顔をださなかった店主たち(6)
広告に顔をださなかった店主たち(5)
広告に顔をださなかった店主たち(4)
広告に顔をださなかった店主たち(3)
広告に顔をださなかった店主たち(2)
2011年
広告に顔を出さなかった店主たち
新聞広告紙面に登場した店舗群
鈴蘭灯の仕様と設置場所
鈴蘭灯(百貨店の下足問題)
鈴蘭灯(当時の元町で商う大型店)
鈴蘭灯(元町デパート)(8)
鈴蘭灯(元町デパート)(7)
鈴蘭灯(元町デパート)(6)
鈴蘭灯(当時の電力事情)(5)
鈴蘭灯(当時の世情)(4)
鈴蘭灯(続ける理由)(3)
スズラン灯余談
2010年
スズラン灯
舗装のはじめ
道路拡幅
広くならなかった街道
村里から市形へのなかで
「みち」の管理
「みち」の構造
「道」についての余談(2)
「道」についての余談(1)
西国街道から商いの道へ
市
2009年
貨 幣
太宰府
海外派遣
山陽道
西国街道
明治四十四年ころの商店街(八)
明治四十四年ころの商店街(七)
明治四十四年ころの商店街(六)
明治四十四年ころの商店街(五)
明治四十四年ころの商店街(四)
明治四十四年ころの商店街(三)
明治四十四年ころの商店街(二)
2008年
明治四十四年ころの商店街(一)
明治15年の4~1丁目店舗群
明治15年の6・5丁目店舗群
明治のはじめ
走水村の商い
二つ茶屋村の商い
神戸村の商い
大西座 (十)
大西座 (九)
大西座 (八)
大西座 (七)
大西座 (六)
2007年
大西座 (五)
大西座 (四)
大西座 (三)
大西座 (二)
大西座 (一)
見世物
売込問屋
営業束縛の悪弊を禁ず
触れ書きにみる心意気
明治維新直後のお触れ 掃除
維新直後の布達2 帯刀
布達にみる世相 乗馬
2006年
幕末から明治にかけての村役人
神田孝平 (七)
神田孝平 (六)
神田孝平 (五)
神田孝平 (四)
神田孝平 (三)
神田孝平 (二)
神田孝平 (一)
明治初期3村の暮らし
2代目から6代目までの兵庫県知事
伊藤俊介(博文)
東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)
2005年
明治初年の元町商店街
明治維新当時の商店街
神戸、貿易のはじまり
三村の外国人取引
雑居地と貿易
雑居地の警備
雑居地、その家賃
柴田剛中(10)
柴田剛中(9)
柴田剛中(8)
柴田剛中(7)
柴田剛中(6)
2004年
柴田剛中(5)
柴田剛中(4)
柴田剛中(3)
柴田剛中(2)
柴田剛中(1)
専崎彌五平(6)
専崎彌五平(5)
専崎彌五平(4)
専崎彌五平(3)
専崎彌五平(2)
専崎彌五平(1)
生島四郎大夫(12)
2000年
続 神戸村
神戸村
二ッ茶屋村
走水村
三軒屋の相生町
湊川
兵庫のまち
はじめに
PCサイトを見る
スマホサイトへ戻る