神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

鈴蘭灯(当時の電力事情)(5)

鈴蘭灯(当時の電力事情)(5)

 大正十五年九月六日づけ神戸又新日報の記事。
わが神戸の如き日本の玄関口である都市に拘わらず一向進まない。そこで当市の代表的商業地区たる元町通りの電飾化が元町商人によって計画され、市電気局も大いに乗り気になり商売っ気を離れて応援することになった・・・
 神戸にはじめて電灯会社ができたのは明治二十年、翌年九月に営業をはじめた神戸電灯で、東京についで二番目の開業である。明治二十三年には「一万灯記念祝賀会」を開く。神戸市街電車会社の電気事業参入宣言で知事の仲介により神戸電灯と合併、神戸電気株式会社となる。市域拡大による経費捻出のため収入増をはかりたい神戸市は、大正六年八月、公営としている京都市にならって神戸電気を買収、神戸市電気局として発足した。
 電気の供給は、地域的な独占を前提に成り立つ事業だ。神戸市の思惑に反して、電気料金への市民の目は厳しくなっていたようだ。
 大正十四年八月十四日の神戸新聞は、「神戸市の電気動力の需要者は逐年増加の趨勢を示すも其の使用料金は他都市に比し高率で産業の発達を阻む恐れがあるので市内各工業組合では電力値下げの運動を為し、陳情書を作成、鉄工業組合等に発送して協賛を求めた上、関係当局へ発送する事となった。意見を取りまとめるため十四日午後四時より県会議事堂に集合の上協議会を開き、市当局県市会議員、主務者に陳情書を提出する事となった。

 ・     電動力使用料金は1キロワット金三銭以下とすること
 ・     最低料金の制を廃し事業の盛衰繁閑に応じて調節せしむる事
 ・     大需要者と小需要者の間に著しく料金の差違あり恰も多数者を少数者の犠牲に供給するの感あるが如き制度慣習は速やかに改善し負担の公平を期する事
 ・     各種動力供給業者をして自由に市内に送電する事を得せしむるためこれを阻止する
 ・     内規契約を改廃し以て独占の弊を除去せられたし

04.png 一方、大正十四年九月の市議会では、電気需要の増加に対応するため二万五千キロワット発動機2台の増設と、これにともなう変電所及び電線路拡張に要する費用を支出するための費用一千七百八十二万円の承認を求める議案に、十五名の委員による調査を付託した。 同年十月の市議会では、発動機二台が完成するまでの間、宇治川電気から2万キロワット受給するための予算案を上程したほか、三万五千キロワットへの変更案も提出した。
 「商売っ気を離れての応援」。その真意は、どこにあったのか。他の都市に伍する明るさか、鈴蘭灯の消費電力を名目にした発電量増設への布石か、新規顧客拡大へのリップサービスか。鈴蘭灯の建設は、電力供給の面でも多難な時期にあった。
岩田照彦
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