神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

牛肉・販売量の増加

牛肉・販売量の増加

 明治五年、明治天皇による肉食解禁の宣言で、外国人の消費とともに、日本人の間でも牛肉の消費は自由になる。天皇が牛肉を試食された三か月後には、「僧侶の妻帯肉食」も解禁された。肉食を敬遠する理由を仏教のせいにしていた人たちはもちろん、僧侶解禁の影響は、肉食に対する庶民の気持ちを大きく羽ばたかせたにちがいない。しかも、開化の波で見聞されていた醤油や砂糖で煮るという和洋折衷の料理方法は、口にしてみたいと願うひとたちには、とっつきやすいものであったようだ。
 天皇による肉食解禁は、牛肉供給量の増加を見越しての宣言ではない。文明開化の波に乗って牛肉を食することへの関心が高まるなか、食肉を提供する側も増産に心掛けただろうが、消費が供給量を大きく上回ったのは自然な成り行きだろう。

   一八八三(明治十六)年、農林省は、生活必需物資統制令に基づき「食肉配給制規則」を公布、十月から実施する。「牛・豚・馬・山羊・綿羊で食用に供せられるもの及び農林大臣の指定する食用鳥類並びにこれらから生産される食肉は、本規則によって統制する。1所帯に対する配給量、二人まで三〇匁、五人まで五〇匁、八人まで八〇匁、一〇人まで一〇〇匁」(1匁は3・75g)というものだ。
 国主導の経済政策で、人の欲望に直結する食の世界を平穏に解決するのはむつかしい。絶対量の不足は、商いの作法に反映された。明治二十三年のある雑誌は、読者の質問に答える形で、馬肉と牛肉の見分け方を紹介したのにつけ加えて、九か所の牛肉店で買った牛肉をテストした結果、三か所の肉は正真正銘牛肉であったが、四か所は馬肉の疑いがあり、残る二か所は、完全に馬肉」との記事を掲載している。 
 また明治三十年、繁盛する牛鍋店を描いた「東京繁昌記」は、「牛肉は目下、一の流行にして、大小数多の牛肉店、各所に散在、すこぶる繁盛、養生家の増加は喜ぶべし、としながらも,価の廉ならざるを以て、馬肉、豚肉を混和し,あるいは其の悪獣腐肉を牛肉と称して売りつくる」とある。
岩田照彦
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