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夢街道
写真の話(2)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
写真の話(2)
2014/09/01
夢街道
前回、日本写真界の草分けとして、上野俊之丞を紹介した。俊之丞の写真を、受け継いだ上野彦馬について書く。
彦馬は、俊之丞の次男として、長崎銀屋町に生まれた。彦馬十四歳のとき、俊之丞は病没、長崎の画人・木下逸雲の斡旋で、日田の広瀬淡窓塾で学び、長崎へ戻るとオランダ語を習得する。一八五七(安政四)年、長崎大村町に、舎密試験所(長崎医学伝習所)ができ、その翌五八年、彦馬は入門する。ここではオランダ人医師メーデルフォド・ポンペから化学とともに写真術も研究した。
彦馬が取り組んだ写真術は、父のダゲレオタイプではなく、より進んだ湿板写真法だった。彦馬は、原書を頼りに薬品の材料などを自分の手で作り上げている。旺盛な研究心と粘り強い性格は、父譲りだったのだろう。
彦馬の友人である堀江鍬次郎が、津藩主藤堂和泉守に、新しい機械とレンズを取り寄せてもらうと、一八六〇(万延元)年、二人は江戸に出て藤堂家の屋敷に滞在、旗本諸侯を撮影、それから津藩に赴き、有造館という藩の学校で、理科学の講義をしている。
一八六二(文久二)年、彦馬は長崎へ戻り、中島川畔に「上野撮影局」として写真館を開く。一八七四(明治七)年には、フランスの天文学者ジャンソンの委嘱を受け、太陽面の金星通過の状況を撮影、七七(明治一〇)年の西南戦争には、従軍写真師として熊本の戦地に出向いている。その後、ウラジオストック、香港、上海にも上野写真館の支店を設け、「写真師ウエノ」の名前は、世界に広がった。
写真術を日本に持ち込んだ父俊之丞、化学者でありながら、新しい写真の技術に挑戦、国内はもちろん外地にまで広めた息子の彦馬、ふたりの写真術とその優れた習得術に驚く。
京阪神の主要な初期の写真師は、たいてい彦馬の伝統を受け、技術継承者といわれている。
次回は、彦馬の影響受けたといわれる神戸の写真界の状況をみよう。
岩田照彦
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