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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

神田孝平 (二)

神田孝平 (二)

 神田孝平の話をつづける。
 教育にも情熱をもやした。生いたちからみて、当然のことだろう。神田兵右衛門らの設立した明親館の発展に力をそそぐ。県立洋学校と合併し神戸師範伝習所に小学校教員を集めて自ら教壇にたつ。顕微鏡をひっさげて学校をまわり、教員や生徒に直接指導もする。
 数おおい業績のなかでも特筆にあたいするのは、
 「万機公論に決する」
という明治新政の基本方針を、地方政治においても具体化すべきとしたことである。憲法の精神を、地方で実践しようというのである。当時、細かい法律は整備されておらず、まして他の府県には例をみない。
 民意をくみあげるのが、治世者としてのはじまりと考え、信じている。
 明治五年八月、兵庫県を十九の区にあらため、まず区内の住民に区長、戸長を選出させた。選出にあたっては
 「家格を論ぜず人望才力のあるものを公選すべし」
と命じている。
 県内区制の整備とあいまって県会、区会、町村会など「民会」の発達をはかろうとして、六年十一月二十六日「民会議事章程略」を布達する。 
 町村会は百人未満に十名の議事役をおく。百人以上の場合、百人を増すごとに議事役一名をくわえるが、総数は二十名を越えないこととする。
 選挙人資格は十六歳以上で、不動産を所有する戸主とする。
 区会は、町村会が町村内正副戸長の中から二名ずつ選出した議事役で構成する。区長みずから議事役になって年四回開会する。
 県会は県内の全区長をもって議事役とし、県令または参事が議長になって年二回開催することをきめた。
 運営のために「町村会仮規則」と「町村会議事心得」を定め、町村費の予算、戸長以下役場の人員と給料の決定、区会議事役の選挙、町村内の小学校、水利、道路、橋梁の工事など、すべて町村会で議決させることにしたのである。
 いきなり選挙をもちこまれて、選ぶ意味ものみこめず困るばかりの村人の気持ちをくみ、実施には弾力的な態度でのぞんでいる。
 民会の開設は公共の利益をはかるためで、それがかえって住民の迷惑になるならば、しいてつくらなくてもよい。また会議を開くことを迷惑と思う町村は機運が熟するまで開設を延期してもかまわない。いったん開設したものでも中止してもよい。住民にいっさい無理をさせなかった孝平の配慮が、かえって民会の普及をうながすことになる。  明治八年六月二十日、東京で天皇臨席のもとに開会された全国地方官会議で、先進知事の代表として孝平は幹事長を命ぜられ会議をとりしきる。  三村を核にした兵庫県は、孝平によって全国でももっともひらかれた地域だった。
岩田照彦
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